第132回 親子という人間関係(4)~父性なき社会と不安定な安心感~

《人を安定させる母性と父性》

 人間にとっての安定は母性的なものと父性的なものでもたらされます。人の根元的な安心は、へその緒で母体とつながり子宮に包まれていることでしょう。その後は周囲の大人からさまざまな形で抱擁されて健康な自己愛を育てていきます。そしてその自分に対する安心感は、善悪を区切る父性との出会いにより社会生活の中で安定して維持されます。人と人が社会の中で共生するために必要な規範が日々の生活の中で明らかになっており、周囲の大人がその規範に責任をもっていることが確実に伝わってくるような環境であるならば、人は連帯についての安心感を維持できるのです。

 

《現代日本のアノミー》

 社会が発展途上の段階においては、「豊かさ」という目標を共有して人々は連帯していました。社会、学校、家庭の中で「善きこと」は比較的自明であり、その目的に向かって頑張れば社会の中での自分の位置に安心することができました。しかし急速な経済発展に伴う社会の成熟化と価値観の多様化は、人々の歩むべき自明の目標を見失わせ、一種のアノミー(無規範)をひき起こしました。自分自身と他者が確かにつながっているという実感が乏しく、安心感が希薄で不安定な感覚を抱えたのです。そのために他者の機嫌が非常に気になり、また社会に溢れるさまざまな価値観における「善きこと」に敏感で、勉強、仕事、家事、育児、容姿などのさまざまな面で過剰に細部にこだわってしまい、常に追い立てられているという状態に至りました。しかしそこまでしても自分が確かに他者と連帯しているという実感が得られず、何かしら拠り所のない気分が続いていたのです。
 つまり社会の成熟に伴う「共有された目標の喪失」により「父性不在」の状態に陥っており、人々は母性によって育まれた安心感を維持できないのです。そして「かくあるべき」と迫る多数のマイナーかつローカルな「父性」に振り回され、それにいくら気をつかっても安心できない状況に私たちは喘いでいるのです。このような安心感の乏しい状況が続けば周囲の大人は母性すら子どもに提供できなくなるのです。

 

《期待される父性とは》

 現代日本が必要としている父性とはどんなものなのでしょうか。発展途上時代のような「共通の価値観」を前提にしたようなものは今の時代には意味をなしません。必要なのは多様な価値観の存在を前提とした「善悪」です。多様な価値観をもつ人々が共生するために必要な「善悪」を私たち大人が共有し、そして大人自身がまず安定すること。そしてそれを子どもたちに伝えていくことが望まれます。
 次回はこの点をさらに考えてみたいと思います。