佐賀バスジャック事件(10)
未分類 | 2018年8月26日
一度は断られた少年の強制入院でしたが、両親がラジオ番組で知ったという関東在住の精神科医に電話で相談したことから、事態は思わぬ展開になります。その精神科医は、母親の電話だけの情報から、入院を断っている病院と警察に対し強引ともいえる働き掛けをして、少年の強制入院を段取りしてしまったのです。
《「私が何とかしてあげる」メディア精神科医の愚行》
これは実に驚くべきことです。主治医と一面識もなく、入院後に連絡を取り合って共同治療をしようというのでもなく、自分の方針とまるで異なる意見を持つ医者に患者を押しつけたのですから。入院治療というのは、そこの病院の医師の判断をベースに進められるという当然のことが、どこかに吹っ飛んでしまっています。
これは医学的な態度というよりは、“できるフリ”を崩したくないという個人的な必要性でありましょう。「私が何とかしましょう」という態度をとることが主な目的で、その少年や家族の苦境を救いたいというのはオマケのように、筆者には思えます。もし「少年や家族を救う」ことが主目的であるならば、入院後にくる本当の治療についてまったく無関心でいられたわけがありません。
きついようですが、この医師は“できるフリ”に夢中で、われと常識を忘れていたか、この種の問題の対処能力が最初からないのか、あるいはその両方か、それらのいずれかであると考えざるをえません。
《「よく分からないが」引き受けた病院》
一方、佐賀の病院についても、一度は断っておきながら一体どうして入院などさせてしまったのでしょう。いくらスゴまれようと、突っぱねてもよかったはずです。このような優柔不断な態度をとる背景には、このような問題に対する精神科医のあいまいな立場と状況があると考えられます。
この種の問題については、精神科医に対する世間の期待は高まる一方なのに対して、大抵の精神科医は「はっきりした病気じゃないから、よく分からない。でも助けてあげなきゃいけない気がする」という心境にあるのです。そのようなところに、強くごり押しされたのでしぶしぶ入院させてしまったのでしょう。
《最悪の処遇》
この入院が最悪であるとする理由は、少年に対してみな腰が引けており、だれ一人として真剣に手を差し伸べていないということです。そして、少年が人とつながれるシステムをつくっていこうとする意図が関係者全員に不在であることです。
強制入院を強行させた医師の方は、入院完了の報告を受けたと同時にヤレヤレと思い、そのまま事件が起こるまで忘れていたと語っています。これなどは“できる自分”に頼ってきた母親に対して、その自分のイメージを守ることの方に優先順位があったのだなぁと思わせるエピソードです。
また、取りあえず入院を受けた病院の医師の方も、基本的なスタンスは変わっていないので「検査などで異常がなければすぐに退院させます」という通常の精神疾患と同じ手続きを踏んで、外出外泊を行わせてしまいました。これもかなり、杓子(しゃくし)定規といえるでしょう。両親にしても「だれか何とかしてください」という発想から一歩も出ていません。このように関係者がすべて「腰が引けて」いたのです。
強制入院という方法は必然的に“見捨てられ感”を生じさせます。このようなメスを入れた限りは、必ず親やスタッフや他の患者さんなどとのつながりで“縫合”せねばなりません。そうでない場合は明らかに収支はマイナスなのです。今回のような処遇は、少年がつながっていた最後の連帯である両親との絆を断ち切り、反社会的行動の抑止力を完全に奪うだけの結果を生んでしまったのです。少年はもはや悪霊でした。一方的に他者にとりつき、自分の存在を知らしめるという怨念のみが、彼を支配するようになったのです。
山陰中央新報連載(平成12年11月4日付)より