佐賀バスジャック事件(9)

少年による家庭内暴力や反社会的行為への対処の一つとして、精神科医などへの相談がなされることが時々あります。実は、精神科医はこのような相談を得意とはしていません。それは児童精神科医や心療内科医にもいえることです。つまりこの種の問題は「診察検査の結果、ここが悪いですのでこれを良くしましょう」という医学モデル的な考え方の有効性が低いのです。

《介入と治療》

ただ、精神科医にしても臨床心理士にしても、対人関係やコミュニケーションを扱うという点で、この種の問題への対処に期待できます。しかし、中には性的虐待の女児をその加害者と同居しているのを知りながら、何年間も延々と“カウンセリング”をしている心理士に出くわすことがあります。家庭内暴力で青息吐息の両親に対し「とにかく受け入れて」とのみ繰り返す精神科医もいます。いずれも、あまりにも“学問的”で、現実的とはいえません。性的虐待なら、まず加害者と分離して安全を確保するのが第一歩であり、家庭内暴力ならまず親が暴力を受けずにすむ態勢づくりが第一歩です。その第一歩を「介入」といいます。そして子どもが親や世間に受け入れられているという感覚を持てるよう、援助していくという「治療」はこの介入の後に始まるのです。

さて、医学モデル(言い換えれば薬)の有効性がかなり期待できるようなケースでない限り、強制入院は子どもの恨みを買うだけで終わる場合がほとんどです。ですから、大抵は「精神病ではありません。入院したからといって良くなるものではありません」と伝えることになります。“できるフリ”をするよりは、正直に精神医学の限界を白状する方が余程誠実な態度ともいえます(親は別の手段を本気で考えることができます)。マスコミによく出て“できるフリ”を常にしているセンセイというのは“芸能人”と見た方が適切です。その発言の多くはパフォーマンスであって、医学的な根拠のある発言ではないことに注意が必要です。

《奇妙な展開》

今回の佐賀のケースでは、不安にかられた両親がその“できるフリ”にひかれ、遠方の精神科医に相談したことから思わぬ展開を見せます。相談を受けた精神科医が、任せなさいとばかりに「そりゃ大変だ。断る病院はどうかしている。私に任せなさい」といった態度を取り、強制入院を強引に段取りしました。これは単なる強制入院ではなく、受け入れ先の病院や医師にとっても“強制された”入院であったようです。

当の病院が断っている入院治療を、遠方からの電話だけで引き受けさせたのです。どうして他の選択肢を考慮することなく、そのような無理の大きい段取りを強行したのか。どうして受け入れ先の病院は、渋々とはいえ入院を承諾したのか。この入院がどのように“最悪”なのか。そして、その最悪の強制入院を生んだ状況の分析を次回にしてみたいと思います。

山陰中央新報連載(平成12年10月28日付)より