佐賀バスジャック事件(8)
未分類 | 2018年8月26日
前回は少年の家庭内暴力や反社会運動に対して「親世代のより広い連帯」が成立することが解決に向かうカギであることをお話ししました。親自身が隣近所や親せきや友人などに頼み込むということの例をひとつお話ししましょう。
《ある家庭内暴力例》
その家は息子のひどい家庭内暴力に悩んで専門機関に相談していました。しかし親が逃げたら家に火を付けてやるというようなことを言うなど言動がエスカレート。ついに両親は世間体を捨てて近所に息子の現状を伝えに行きました。「実はうちの息子がこのような状態です。全力を尽くしてめったなことをさせないという思いですが、万一火を付けるといったようなことがあると…。すみませんが気を付けていただけますか。非常に危ないときにはこちらからご連絡しますから」。最初のうちはこのように言っていた両親ですが、なにぶん切羽詰まっていますから、同情を示して聞いてくれるような隣近所には、それ以上の苦しい胸の内を涙ながらに話すことになりました。そして親せきなどにも話すようになりました。そのような両親に「あなたたちでとにかく頑張って私たちに迷惑かけないでよ」などという人は案外おられず、差し入れを持って訪ねてきてくれ、息子の方にも声を掛けてくれるようになったりしたのです。
息子としても、自分は近所親せきなどには常に白い目で見られるだけの存在だと思っていたところに、気さくに話し掛けられることは、すべてにおいて“防衛”してコチコチになっていた心には心地よく感じられたようです。そしてそのように親せき近所が自分とその子どもを援助してくれることは、だれよりもその両親自身を、自信喪失と孤独感のどん底から救ったのです。
家庭内暴力や反社会行動の子どもというのは、自分自身がそのままでは人に愛されないし、存在を認められないと信じている少年たちです。そしてそれを打開するのは、子どもたちの周囲の人間同士のつながりです。親自身が「自分がどんなに困っていても周囲はだれも相手にしてくれないだろう」などと信じているような状態では事態の改善は望めません。自殺するか子どもを殺すしか選択肢がなくなります。親が自分を助けてくれと人に頼めるということは、人を信じているということです。人との連帯を信じることができる親だからこそ、子どもが親とつながり、親が周囲とつながっているというイメージを持つことが可能となるのです。それは親としての大切な機能です。親がどうしてもそうなれない場合は、子どもは別の“親機能”を探すしかありません。
《入院という選択肢》
さて、今回の佐賀のケースでは入院となってしまったのですが、基本的な考え方は入院でも変わりません。まずこの種の問題に相当熟練したスタッフがその病院にいることが前提となります。そして以下のような方向性で親子を支えねばなりません。
(1)両親の自信と連帯を回復させ、さらに両親自身を援助してくれる他者との意味のあるつながりをサポートしていくこと
(2)親子ともに妙な罪悪感やおびえから解放していくこと
(3)少年が両親や他の大人の連帯の中に受け入れられて居場所があるという感覚を持てるようにしていくこと。大人たちが案外おおらかであることを発見できていくようにすること。
しかし、強制入院という手法自体が治療の目標ともいえる(2)(3)を難しくすることから、もしやるのなら相当の長期入院を予定せねばなりません。外泊などおそらく半年以上先の話となるでしょう。このような根気のいる治療ができる余裕と能力のある病院はほとんどありません。何よりも、親が子どもの言動をすべて“病気”ととらえ、病院や精神科医が何とかしてくれるという感覚を持ってしまうことこそが最大のマイナスであるといえるでしょう。
山陰中央新報連載(平成12年10月21日付)より