佐賀バスジャック事件(3)

“まじめないい子”であった少年の家庭内暴力は、中3の夏に突如始まりました。両親は精神科、児童相談所、教育センターなど複数の専門家に相談しています。このような家庭内暴力に対する対処は難しいものです。袋だたきにしてへこましてしまうと無気力でスネたようなイヤな状態になりますし、逆に脅えながら両親が従うだけだと、これはもう論外で家庭とはいえなくなり、絵に描いたように暴君化していきます。

《専門家の「できるフリ」》

専門家の大半は「本当に受け入れることが大切」「刺激せずにできるだけ望み通りにして様子を見ましょう」などの助言を好みます。これは不登校に対して、判で押したように「登校刺激を避けましょう」というのに似ています。いずれも一般化するにはあまりにもお粗末な助言ですが、いまだに目にするのは、いかにこの分野の専門家の多くが、実証とか実践というものから遠く、単に「できるフリ」をしているだけかということでしょう。

しかし、時にその「できるフリ」が取り返しのつかない結果を招きます。平成8年、家庭内暴力の息子を父親が金属バットで殺害するという事件が起きました。この父親は事あるごとに暴力を振るわれ、土下座させられていたのですが、相談していた精神科医は「そういう対応も一つの技術として考えて頑張ってください」などと助言していたのです。父親は殴られ続け、事態は最悪の結果に至りました。

バスジャック少年の家庭内暴力に対し、専門家からどのような助言があったかは分かりません。いずれにしろ両親は少年に脅え、腫れ物に触るように接しています。父親は真夜中に足げにされ、ドライブを強要されるといった横暴に耐えていました。家庭はまるで独裁国家のようになり、その特殊な空間の中で少年は、自分の尊厳を傷つけた“学校”に象徴される外部に対し、復讐の考え方を膨らませていきました。

《家庭内暴力の対処》

前回お話ししたように、家庭内暴力児に共通するのは、親に対する罪悪感の高まりです。それが極端な「甘え」や「攻撃性」を生じさせます。従って親に対する子どもの罪悪感を減らす工夫が最も大切です。子どもの選択肢を増やすこともその一つです。
 さらに重要なポイントは、決して子どもに親を殴らせないことです。「手を出したら絶対許さない」といったルールを親が徹底するのです。親を殴れば子どもの罪悪感が高まり、次の暴力が誘発されるという悪循環になってしまいます。“ルール”と言ったのは、気分に任せてその暴力をしかっても意味がないからです。同じことをしても怒るときと怒らないときがあるというのはダメです。基準を明確にしてしっかりと行動を制限することは、子どもを楽にします。もちろん、しかられた直後の子どもはスネた様子を見せたりしますが、しかった後の対応は今までと同じかそれ以上に優しくていいのです。

さらに暴力を抑制するのに欠かせないのは周囲の連帯です。まず両親がしっかりタッグを組み、暴力を断固許さないというスタンスで対処します。

余程暴力がエスカレートしている場合には、家を離れることも考慮します。この場合、世話の与え手をしっかりと確保しなければなりません。そうでないと、単に「逃げた」「見捨てられた」と子どもは考えます。近くの親せき、友人などに子どもの世話をお願いします。食事やお金を持って行ってもらったりするなどして、親世代の人間が連帯して親の役割をするのです。暴君のような子どもにびくびくする倒錯家庭を続けるより、はるかにいいことです。どうしようもなければ、保健婦さんなど公的機関に協力をお願いするしかありませんが、これを仕事と思っていただけるかどうかは分かりません。なお、家庭内暴力児の親の方も、子どもに対する罪悪感が高まっていることがよくあります。昔、他人に預けていたとか、よくたたいていたことなどを思い出します。そのような罪悪感は、やはり子どもに対する親の「攻撃性」を引き出します。また、けじめなくだらだらと子どもにかかわり合う態度も生じさせます。いずれにしてもそれらは好ましくない信号となり、事態を悪化させます。

親子ともに罪悪感を減らす工夫をしていくことが、親世代の強固な連帯をつくることと併せ、家庭内暴力対処の要点なのです。

山陰中央新報連載(平成12年9月16日付)より