第80回 「パワー」から「コミュニケーション」へ(11)~オウム事件再考~

 1995年3月20日、朝の通勤ラッシュ時間を狙った形で猛毒のサリンが複数の地下鉄車内に同時にまかれるという未曾有の事件が発生しました。12人が死亡し、5500人もの重軽傷者を出した「地下鉄サリン事件」です。あれから早7年もの歳月が流れました。
 わたしたちの中に多くの疑問と不安を抱かせたこのような事件も、 “パワーとコントロール”をキーワードにした「支配・被支配」「依存・被依存」といった関係に満ち溢れた現在の社会から生じています。

 

《オウムとは何だったのか》

 オウム教祖の松本被告は、著しい自己不全感を抱える一方で、自らのパワー(たまたま視力障害が軽いこと、体が大きいこと等)を盲学校において用いることでその不安を払拭していました。そして総理大臣になろうと考え東大を受験して失敗、その後超能力や宗教的達成といった日常的でない枠組みの中で人を圧倒する「パワー」を求めます。そんな彼を“教祖”にしてしまったのは、「神のごとき父」を必要とする若者たちでした。彼らのほとんどは私たちの「常識的な」社会の中で「良い子」であろうと頑張ってきていました。しかし東大に入っても、医者や弁護士になっても、いつまでたっても魂の平安が訪れません。「これでいい」という安心は一向に得られない一方で、「やるべきこと」に日々追われているという生活をしていたのです。
 そのような彼らが「神のごとき存在」を欲し、それによる究極の承認を求めることで真の安寧を手に入れようとしたことは必然的なことといえるでしょう。
 何も考えずに「善きこと」をただやっていればよいという生活は彼らにとっては子どもの頃から慣れていることです。とりあえずの目標であった「良い大学」とか「良い職業」などというものが期待したほどの安心をもたらさないことが明らかになっていく日々の絶望の中で、彼らが見いだしたものが「教祖」であり、その意図に沿った「善きこと」を不眠不休で行うことで不安を払拭しようとしていたのです。しかし教祖の承認(オウムにおける地位)というものもまた、いつしか彼らを常に追い立てるようになっていき、それが「サリンをまく」という殺人行為に対する抵抗まで挫いてしまったのです。

 

《私たち以上に私たち的》

 私たちが自分の存在に不安を感じたとき、「善きこと」の達成に邁進することで解消しようとします。そのようななかで「承認不足者」たちが、それらの全てを満たそうと必死になっています。しかし私たち社会の「善きこと」の達成によって思ったほどの安心を得られなかったり、その達成を焦るあまり何もできなくなってしまったりした人々が、「究極の善きこと」「究極の承認」を求めて教祖をトップにした階級社会をつくったのです。これはまさに「支配-被支配」という人間関係をベースにした社会です。ある意味で私たち以上に私たち的な社会です。そこには「命令の伝達」はあってもコミュニケーションという概念がありません。教祖の言う通りの「善きこと」を「私」を捨てさってロボット的に行うことが求められ、そのようにあろうとすることが修行であったわけです。

 

《オウム事件の教訓とは》

 私たちの社会の苦しみがオウムを生みました。オウムは私たちの社会の似姿です。善意でサリンをまいてしまうような若者を生み出さないためには、私たちの社会が変わらねばなりません。オウムは「支配-被支配」という人間関係を徹底させた社会を作り、それが崩壊する様をみせてくれました。パワーとコントロールを求める社会が行き着くところをみせてくれたのです。
 その教訓をどのようにいかすべきかを次回考えていきます。