第71回 「パワー」から「コミュニケーション」へ(2)~パワー志向の限界~

《現代人の不安とパワー志向》

 差し迫った飢餓が消え、戦争報道ですら実感から離れた無機的な「死」しか感じ得ない現代。私たちは目の前の仕事、他者の機嫌、世間体の良し悪しなどの方に差し迫った危機を感じています。どちらかというと「感じすぎている」といってよいでしょう。
 拒食症のような「豊かな食べ物に囲まれた中での飢餓」というような「豊かなのに貧しい」「自由なのに不自由」といった皮肉な現象が無数に生じています。
 生活の中で「こうでなければならない」「もっと上を目指さねば」「今のままではいけない」と常に追われ、周囲の全ての規格に合格するという理想を追い続けています。私たちの多くはパワー信者です。努力すれば何でもできると考えています。言い知れぬ不安を抱え、それを振り払うために常に走り続けているのです。
 80年代以降特に目立ってきた拒食症のような“疾患”は非常に多様です。それは「酔い」を用いて不安を振り払おうとする行為の習慣化です。アルコールや薬物による酔いも、拒食や過食、ギャンブルや買物、過剰な仕事やエクササイズなどによる 「酔い」も同じのものです。そのような行為のベースとなるような不安は、本来は人とのコミュニケーションを介した安心により解消していくものです。しかしこれまでの時代は、そのような不安を「パワー」を求めることで解消しようとしてきました。何か「良きこと」について努力して頑張ってさえいれば、人から認められ、全てうまくいくというふうに人は考えていたのです。
 しかし時代は移り、さまざまな分野での技術や文明が発達するなかで、「食べるため」だけでなく、さまざまな価値観をもって自由に生きることができるようになりました。しかしその中でパワーにすがって生きようとするスタイルには大きな「不自由」が伴うことになったのです。本来人に受け入れられ、認められるための手段であった「パワー」が包含する弱者否定や競争原理などが、「常なる不安や緊張」を人々に強いて、現在のスタイルで更に頑張るしか選択肢がないという「降りるに降りれない」という状況を作り出してしまったからです。
 これまで “周囲の雰囲気”に溶け込むことによって安心感を得てきたほとんどの日本人が、価値観の多様化に伴って「自分はどうすればいいんだ」と慌て始めました。とりあえず勉強をして、あれもしてこれもして…という具合に、不安に駆られ、「やらねばならぬこと」に忙殺されながら生活するようになってしまったのです。

 

《現代の「普通の家族」》

 自分の本来の感覚をOFFにして、止めどもない不安を振り払うようにして生きているのは親も子も同じです。
 可愛い子で、素直で、勉強ができて、運動ができて、明るくて元気…といった具合にひたすら「良い子」を求めて走っている子どもも、良妻賢母にしてキャリアウーマンといった理想を目指す母親も同じなのです。父親もまた同様に、自分が「できる人」や「いい人」であることなどにこだわり、他者から「一目置かれる」ことに汲々としています。
 そのような現代における「普通の家族」から、拒食や過食、アルコール問題、家庭内暴力、ひきこもり等などの問題が止めどもなく生じているのです。
 次回は今の家族に生じているコミュニケーションについて、もう少し詳しく触れたいと思います。