第31回 大地震と心のケア~心的外傷後ストレス障害(PTSD)~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2001年4月7日
3月24日、安芸灘-伊予灘を震源とする芸予地震がおきました。昨年の鳥取西部地震を思い出した方も多いことでしょう。1995年の阪神淡路大震災以来、大地震後の援助として注目されてきたのが「心のケア」です。それはどういうケアなのでしょう。そもそも「心の傷(トラウマ)」とはいったいどのようなものなのでしょうか。
《心的外傷後ストレス障害(PTSD)》
私たちは自分なりの安心感の枠組みをもって生活しています。例えば地面は揺れないだろうとか、自分や家族の健康は明日も一年後も維持されているだろうなどと漠然と考えています。これが地球はいつ滅びるかわからないとか、隕石が降ってきていつ家がつぶされるかわからない、などと考え出すと安心感を保てず、いつも緊張していなければならなくなります。
緊張の持続はさまざまな心身の不調を引き起こします。大地震など災害や犯罪という圧倒的な力は、揺れないと思っていた地面を揺らし、すくすく成長するのが当然のように考えていたわが子を奪ってしまうなど、私たちのよって立つ安心感のベースに大きなヒビを入れてしまうのです。一般的にいう「心の傷」というのは、このような「安心感の傷」のことをいうのです。
大きな災害や犯罪の被害者にしばしば発症する「PTSD」というのは、被害の程度と症状に一定以上の枠を設け、それを超えた場合に診断します。
しかし 安心感の傷というのは「全か無か」ではありません。日常の安心の枠組みを揺さぶられる出来事というのは、どんなことでも程度の差こそあれ、私たちに緊張感をもたらします。
例えば、空き巣に入られるとします、実際の被害が軽微であったとしても、自分のプライベートな領域へ他者から強引な侵入を受けたという出来事は、私たちに大きな緊張感をもたらします。PTSDの診断基準に当てはまるか否かというのは、精神科医が勝手に議論することで、実際どうでもよいことです。大事なことはどのようにして速やかに安心感を回復させるかということです。
《災害後の心のケア》
鳥取西部地震のときに私自身がとった行動というのを紹介します。当日の午後、出張先の東京で「鳥取西部で大地震」という報に接した私は大慌てで家族に連絡をとりました。幸いすぐに連絡がとれ、家族の無事を確認できました。その他の被災状況についても、火災が起こっていないこと、倒壊家屋が少ないこと、医療機関やライフラインに大きな問題がないことなどがわかりました。
東京の用事というのは私にとっては大事なものであったので、そのまま滞在しようかとも考え、妻もそれを勧めていましたが、やはり翌日すぐに戻りました。これは地震というものに直面した妻子の「安心感の揺らぎ」を私が心配したからです。
非日常的で侵入的な出来事に直面した人は大なり小なり緊張感が高まります。それに対して最も有効な処方箋は「親しい人と一緒にいること」です。
阪神淡路の際に、当初の仮設住宅からよりよい住環境を提供されて移り住んだ人の精神衛生の悪化が指摘されましたが、これは震災後の生活をともにし、親しくしていた人とのつながりが切れることから生じています。親しい人が側にいること、人同士のつながりこそ、傷ついた安心感の回復に大きな役割を果たすのです。