第32回 嗜癖の時代(1)

《嗜癖の蔓延》

 現代はパワーを求める時代です。「頑張れば全て何とかなる」という感覚と信念で生きている人があふれている時代です。
 その感覚の先端を行くアメリカは、日本からみてもまたけた外れな「パワー信仰」社会です。そのような社会では、思い通りにいかない「ダメな人間」が多数輩出されます。自分をダメだと思い、親や周囲からダメだといわれ、焦りと空回りを繰り返し、自責と自己懲罰、嗜癖(しへき)と子ども返りを繰り返している人間があふれるのです。
 かくしてパワー信仰のメッカであるアメリカでは、アルコールや薬物への依存症がまさに社会問題となります。60年代の終わりごろからは、それらの治療を専門とする施設がアメリカ各地で出来始めました。そのような病院やクリニックの心理療法士やソーシャルワーカーは、多数の症例に日々関わっていました。そのなかで彼らが目にしたのは、嗜癖者本人と彼らを取り巻く妻や子どもたちの驚くべき共通性でした。彼らが観察した事実は私たちにとっても貴重な示唆を含んでいます。今回からのしばらくは、嗜癖という視点からわれわれの生活を見直してみたいと思います。

 

《嗜癖とは何か》

 嗜癖というのは簡単にいうと「弊害の大きい習慣」です。われわれの生活は多くの習慣で成り立っているのですが、弊害の大きい習慣を「やめられない」場合、それは本人のみならず家族などの周囲を巻き込んだ大きな問題へと発展します。
 嗜癖の種類は無数であり、食べ過ぎ、飲みすぎなどの飲食物や薬物の乱用を始め、買い物や借金、ギャンブルなどのある種の「行為」への嗜癖もあります。日本人で最大の嗜癖は「働きすぎ」かもしれません。
 これらの嗜癖のベースとなるのは不安、抑うつ、怒り、自責などの不快な気分です。嫌なことがあったとき、おいしいものを食べたり、お酒を飲んだりしてまぎらわすのは普通のことです。しかし不快な気分がとめどなく生じ、どんなに弊害が出てきても飲酒などの行為が自制できなくなる場合、それは嗜癖となります。

 

《嗜癖の心理》

 「パワー信仰」社会では、成功と失敗の定義が単純で、人が簡単に「失敗者=役に立たないダメ人間」と規定されやすい環境といえます。これほど自己肯定感を脅かす状況はないでしょう。
 そのような雰囲気の中では、親は子に「条件付の愛情」や「早すぎる責任」を押しつけやすくなります。親も不安でいっぱいですから、子どものいろいろな側面を受容できず、「お前のためを思って」という枕詞(まくらことば)で、さまざまなことを強要しがちです。結果として幼少期の子どもに拒絶体験を山積させてしまいかねません。また親の不安は「過保護」にもつながります。「条件付きの愛情」「早すぎる責任」の押しつけは、拒絶体験につながり、強い依存欲求を生みます。
 一方、「過保護」という濃密な注目に慣らされると、他者の普通の応対がまるで拒絶されているかのような気分を引き起こし、やはり強い依存欲求につながってしまいます。
 このような強い依存欲求は大きな不安を生み、無理の大きい誇大的な行動をとってしまいやすくします。無理の大きい振舞いは、当然ながらその失敗に伴う不安、焦り、抑うつ、怒り、自責などの不快感情となり、これが嗜癖行動の源泉となるのです。