第11回 子育てを考える(6)~自己肯定感の形成~
ストレス社会を生きる(日本海新聞) | 2002年5月13日
人間の精神の安定にとって欠かせないのは自分を肯定する感覚です。育児や教育において最も大切なことはこの自己肯定感の基礎を形成することです。
さまざまなことを感じつつ、自分が試行錯誤していくプロセスを肯定的な目で受け入れることは、同時にさまざまな背景をもった他者や、人生で起こり得るさまざまな事象に対処していく基礎となります。これなくしては幸福も、他者との実りあるコミュニケーションも困難です。
このような大切な自己肯定感について、すこし考えてみたいと思います。
《自己を肯定する方法》
自己肯定の方法には大きく分けて二つあると筆者は考えています。この2つのうち現在最もポピュラーな方法は、さまざまな「達成課題」を設定して、それを達成していく中で自己肯定していく方法です。これを「アッパー系」と呼びましょう。もう一つはさまざまな既成の価値観から自分を解放していき、自分に由って生きるという自己肯定の手法です。まあこちらの方は自己肯定という言葉より「悟り」という方が正確でしょう。誰に肯定されようが否定されようが万物は在る。自分も在る。その価値を云々したり、自分の範疇でないことを悩んでも仕方がないというものです。禅に通じるものですから「わびさび系」と呼びましょう。
もっともどんな人でもどちらか一方ということはなく、両者がある程度の比率で混ざりあっています。しかし現代は「アッパー系」に偏りがちであることは否めません。そのためにさまざまな弊害が生じてきます。
《「アッパー系」の弊害》
さまざまな課題の達成で自己肯定を行うという手法の欠点は手段が目的化してしまいやすいことです。すなわち幸福のための「手段」にすぎない「達成課題」に対し、あたかもそれ自体が目的のように頑張ってしまうためにかえって不幸な状態に陥ってしまうのです。
「学歴」「地位」「経済的達成」のために、今ここにおける幸福を考えない、あるいは今ここの不幸を感じないようにしているうちに「気がついたらずっと幸福じゃなかった」ということになりかねないわけです。
さらにアッパー系の自己肯定に偏っていると、「課題達成」にとって都合の悪いものを受け入れ難くなります。それは自分の健康かもしれませんし、自分の子どもの性質かもしれません。あるいはさまざまなルールかもしれません。いずれにしても達成の邪魔となる自らの病気に怒り、思い通りにできない自分を蔑み、易々と達成してしまう他者を妬み、「一発逆転」を狙って悶々としているという精神状態は健康とも幸福ともかけ離れたものです。
また一見順調そうにみえても「これでいい」という平安がいつまでも訪れぬことや、いつも自分を抑えてきたような不幸な感覚に苛立っている人は多く、それゆえにいじめやDVなど、他者の存在を勝手に否定するような言動が巷に溢れているのです。
この時代はもはや「○○をやっていれば大丈夫」などということは言えなくなってきています。ということは、育児に際して「条件付承認」のようなことばかりやっていてはやはりいけないでしょう。その子どもが何に興味を示そうと「そんな無駄なことはいいから、勉強しなさい」なんていうのは少なくとも子どもの役には立ちません。そのような子は勉強ができたらできたで不自由ですし、できないならできないで「どうせ自分なんか」という低い自己肯定を抱えて生きることになってしまうのです。