第87回 「自己感覚」を生きる(5)~「未知」を恐れぬ安心感~

 私たちの幻想を強化する「世間教」について触れました。私たちがさまざまな幻想によりかかって生活していることは明白です。そして「 パワー」というものを信じ切っています。

 

《「未知の領域」の乏しさ》

 私たちの「パワー信仰」の異常さは近年極まっており、日常生活の中に「未知なるもの」や「コントロールにならないこと」などあたかも存在しないと考えているかのようです。
 自然と共に生き、未知なるものと共存する姿勢が当たり前のインディアンにとって、初めてやってきた欧米人が「狂気の目をしている」ようにみえたといいます。確かにパワーで全てをコントロールしようと常に焦っている私たちは、インディアンからみたら「幻覚に追い詰められている」ようにみえるかもしれません。私たちは力を抜けない病に陥っているのです。パワーとコントロールを旨としながら、「未知の領域」「コントロールにならないこと」を認めようとしないという私たちは、まさに蟻地獄のような悪循環にはまっているのです。
 私たちはコントロールしようとする範囲を拡げすぎてしまったようです。パワー志向で頑張るなら、自分の責任範囲というのを一層慎重に区切らねば泥沼にはまることは明白でしょう。自分の感情をコントロールし、体重をコントロールし、地位をコントロールし、他者をコントロールしていった先に「安心」はありません。無理ばかり大きくなり、いずれ破綻に至るのです。

 

《「変えられないもの」の受容》

 自分の感情や欲求についても、やみくもにコントロールしようとする姿勢ばかりでは無理がきます。それは「お付き合い」するべき性質のものです。そのようにできれば自分に愛想が尽きることもありませんし、他者との付き合いも楽です。「こういうふうにさせよう」「こういうふうに思われたい」などと自分や他者をコントロールしようとする付き合い方は非常に疲れます。そのような対人関係ではどんなに親しくなっても緊張はやわらぎません。
 災害も事故も病気もこれは「お付き合い」すべきものでしょう。コントロールしようとすると後悔や自責、他責、無力感などに陥るだけで、不運が不幸に変質します。
 私たちにはさまざまなことが自分の力の及ばないところから降ってきます。このような自分の力では「変えられないもの」をあっさりと受容する姿勢は、悩みの少ない生活の基本となります。自分のコントロール範囲外であるという「未知の領域」を拡げる必要があるでしょう。
 このような心穏やかな生活の基礎となるのは、自分のコントロールにならないことを受け入れることのできる強さです。それは自分という存在についての安心感です。自分という存在を受け入れ、肯定するところから、他者との実のあるコミュニケーションが可能となるのです。