第133回 親子という人間関係(5)~現代社会に必要な父性とは~

《父性と良心》

 人の安心は母性的なものと父性的なものでもたらされることを前回述べました。私たちはこの世に生を受け、子宮に包まれ、親に抱擁され、周囲の大人たちに見守られます。それらの抱擁によって育まれる自分という存在に対する安心感こそが私たちが生きていく上で欠かせない基礎となります。
 父性的なものは私たちが社会の「内側」で安定して生きるための基礎です。人と人とが連帯を維持していくための適切な「枠組み」を共有しているからこそ、私たちは安心して生活できます。子どもたちはその成長の過程でさまざまな形でその「枠組み」に触れ、それを取り込むことで「良心」を育てます。社会を構成する人々の大半がそのような良心を共有している結果、私たちは安定した社会生活が可能となるのです。

 

《父性欠如の現状》

 社会は現在、発展途上の時代から成熟期に移行しており、価値観は実に多様です。社会秩序の維持の基礎となる父性は、みなが一定方向を向いていた発展途上の時代とは当然違ったものが求められます。何をどのように子どもたちへの与えていくのかという教育の在り方を今検討せねば、社会における私たちの安定と連帯は今後ますます危うくなることは確実なのです。
価値観が多様化した現在、その家族の中だけでしか通用しないような非常にマイナーかつローカルなルールの中で育ち、成長につれて他者の中で苦痛が大きくなる人々が大勢います。親や教師の好みやこだわりに属するようなささいなことに奇妙な重み付けをされて教育されることには重大な問題があるのです。
 たとえ母性的なものを十分受けていても、社会の中で安定するための基礎的な枠組みが内在化されていなければ家の外は非常に居心地の悪いものとなります。いわゆる社会的ひきこもりが100万人はいるという我が国の現状は、あきらかに教育システムの機能不全を示しています。親が悪いだの教師が悪いだのいう話ではなく、問題はもっと根元的で深刻です。何しろ我が国で「普通に」子どもが成長すると、社会の中で安定していられるだけの枠組みを内在化することができないということなのです。

 

《共生できる「枠組み」を》

 現代社会で人が安定しているために必要な父性とはどのようなものなのでしょうか。前回も述べたように多様な価値観の存在を前提とした善悪基準が不可欠です。少なくとも自分という存在を尊重し十分に主張できることは、他者を尊重し他者の主張に耳を傾けることができることの基礎であることは強調されるべきでしょう。他者に対する勝手な決めつけや無視や暴力などは人と人との共生、ひいては人類の共存を危うくする愚かな行為であることを幼少時から徹底的に教え込む必要があるでしょう。排除や差別、いじめ、ドメスティックバイオレンス、児童虐待などの問題から国家間の戦争といったあらゆるレベルの問題をそのような視点から私たちは大人も子どもも話し合っていく必要があります。そしてさまざまな価値観の人間が共生できる「枠組み」をまず家庭、学校、職場などの自分の身近な生活圏から拡げていくのが私たちにできる教育改革の第一歩ではないでしょうか。