第130回 親子という人間関係(2)~社会性の基礎としての親子関係~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2003年11月23日
《健康な自己愛の基礎》
前回、子どもにとって理想的なのは「余裕のある親」であることを述べました。子どもを受け入れる周囲の大人に余裕が大きいことは、子どもから生じてくるさまざまな「自然現象」への対処を容易にします。さまざまな感情や欲求がわき起こる自分という存在を否定的にとらえずにすむことは、子どもにとっては非常に有り難いことであり、これが健康な自己愛の基礎を形成するのです。健康な自己愛の基礎とは、自分という存在は基本的には周囲(子どもにとっては世界全体)に肯定的に受け入れられているという基本的な安心感です。
《しつけと虐待》
親子という人間関係は子どもにとっては社会生活への第一歩です。泣いてミルクを欲しがる新生児に「真夜中に何だ。朝まで我慢しろ。人の迷惑を考えろ!」などという親はさすがに少ないでしょう。虐待としつけの違いは何かとよく尋ねられますが、虐待とは親の不安やイライラに基づく子どもの乱用であり、子どもの欲求や感情などに配慮することもなく力づくでコントロールしたり、無視したりすることです。一方でしつけとは子どもが自分の内から生じる欲求や気持ちを無視したり否定するものではありません。むしろそれを大切にし、今後も大切にしながら生活できるように年齢に応じた社会的表現を教えていくということです。
《社会性を育てる親子関係》
子どもが友だちが遊んでいるものを欲しがったり力づくで取ってしまったりした際に「人のものを欲しがるんじゃない!」などと怒ってみても本当の社会性は身につきません。その子がその玩具で遊びたいという欲求を直接押さえつけるのではなく、そのような欲求を満たすのに必要なスキルを教えることが大切になります。「お友だちが使っているもので遊びたいときには『貸して』というんだよ。『まっててね』とか『だめよ』といわれたら、待ってようね。きっとそのうちに貸してくれるよ。」「君が遊んでいるものをお友だちが『貸して』と言われても、君がもっと遊びたいなら『待っててね』と言えばいいんだよ」などという対応でよいのではないでしょうか。
社会性(他者と上手に共生していくスキル)を身につけることというのは、自分の内からの欲求や感情を大切にし、それを上手に表現していくことに他なりません。しかし欲求や感情を押さえつけることが社会性であるという勘違いがはびこっています。そして自分という人間は基本的に周囲にとって迷惑な存在なのだからと常に自分を押し殺しているうちに、生きている実感と意欲が失われてしまっている人が多数おられるのです。
大人と子どもで基本的な欲求にそれほどの違いがあるわけではありません。欲求や感情は大人にとっても子どもにとっても大切なものです。その欲求に蓋をすることが社会性の基礎ではありません。自分の内から湧く欲求や感情を大切にし、それを大切にしたいきいきとした生活が送ることができるような、年齢やその子の個性に応じたスキルや守るべき社会的枠組みを学んでいくことが重要なのです。