第125回 家族と幸福(5)~自分に重心をおく生き方~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2003年8月31日
家族とは「無力」な子どもを抱擁するシステムであることを前回述べました。そこで醸成されるのは「周囲に大切にされ、愛される存在である自分」という自己イメージであり、「無力な自分を受け入れる力」であり、「どこに行っても自分は受け入れられるだろう」という自身についての安心感です。
《「杖」に依存する現代人》
健康な自己愛は私たちにとって欠かせない精神生活の支柱です。身体でいえば背骨のようなものであり、私たちの日常活動の中心(重心)となるものです。その大切な重心が定まらないと私たちは常に不安定であり、杖に寄りかかったような生活をせねばなりません。しかし現代人は自分の背骨に重心を置こうとせず、どんなに不安定な自分をも支え得る立派な「杖」を作ろうと必死になっているようにみえます。その「杖」とは学歴、仕事、地位、カネ、他者の顔色や評価などさまざまです。若い女性ならば「体重」ということもあるでしょう。
《親代わり》
乳幼児が親に自分の「重心」をおくのは当然ですが、大人になってもなお外的な「杖」で安心を得ようとするのが現代人の特徴です。そのような「杖」は親代わりであり、親が与えてくれる安心感とそれによってもたらされる安定感の代替物です。自分自身すなわち自分の感覚を大事にできず、周囲の期待の方向に進むことにばかり気をとられている子どもが、ある時点から「体重」に依存するようになり拒食や過食になっていくことは頻繁にみられます。あるいは不安定感に耐えかね、確かな対象を求めて「非行」に走るということもあるでしょう。いまや社会現象となっている「社会的ひきこもり」についても、同様の不安定感をベースにしています。いずれにしても彼らにあるのは「安心感」「安定感」の不足なのです。当然これらは子どもだけのものではなく、大人も含めて現代人全体が抱えている問題です。
《重心を自身に取り戻すには》
私たちの重心を自分自身に取り戻し、「依存症的な」状態から脱するにはどのようにしていったらよいのでしょうか。一言でいえば「自分の感覚に注意を払い、それを大切にしながら仕事や人と付き合う」ということに尽きます。
仕事においては、自分の感覚に注意を払いながら行うことで、適切なペースで仕事ができるようになります。人間関係においては、自分の感覚を大切にし、その感覚を尊重してくれる相手と近く付き合い、一緒にいると自分の感覚を見失ってしまうような一方的な相手とは、それなりの距離をとることで人間関係は楽になります。仕事にしても人間関係にしても「中心・重心」を自分におけることで、付き合いやすくなるのです。
自分に重心をおくことをやりやすくするのは健康な自己愛です。これは必ずしも子ども時代にしか得られないものではありません。また親だけが与えられるものではありません。しかし親が重心を自分において生活ができている状態ならば、子どもは健康な自己愛を育てやすいでしょう。そしてこれこそが親が子どもに与え得る最大のプレゼントであるといえるでしょう。