第124回 家族と幸福(4)~「無力」な自分を愛せる力~

 「学校」や「職場」とは、人と人とをつなぐシステムとしての機能を果たさねばなりません。目的やルールが適切に設定されていることで、人と人とのコミュニケーションは活性化されます。そして個人が無理のない役割をその組織の中でもち、人はその連帯の中で安定し安心できます。学校や職場のような組織の中で人が安定して力を発揮するには、個人の資質や能力以外に組織としてのシステムの適切さが求められるのです。今回は「家族」について述べたいと思います。

 

《「無力」を抱擁するシステム》

 人は全くの「無力」な状態で生まれてきます。そして周囲の大人たちに空腹を満たしてもらい、不安や寂しさを抱擁で癒されながら成長します。そのようなことを繰り返されることで「周囲に大切にされ、愛される存在である自分」という自己のイメージを構築していきます。この無力な時代に醸成される肯定的な自己イメージこそ将来にわたる財産になります。
 一方、子どもが早すぎる「役割」を与えられてしまう場合があります。これは周囲の大人に余裕がない場合に生じます。すなわち「迷惑な子」「ダメな子」「完璧な子」「頼れる子」などですが、いずれにしても周囲の大人の事情によって子どもに割り振られます。「過保護」や「過剰なしつけ」も大人が自分の欠落感や不安を投影して行っているに過ぎません。いずれの行為も結果的には子どもに欠落感や不安を根づかせていきます。

 

《ほぼよい親とは》

 「理想的な親」「理想的な家族」などというものがあるわけではありませんが、子どもにとって有り難いのは「まあまあ余裕のある」親です。まあまあ余裕がある大人であるためには自分を大切にできる必要があります。自分の感覚や感情を咀嚼して、自分にとって気持ちのよい方向で行動を決めたり、そのための自己主張を他者に対して行ったりということをできなければ「余裕」など生まれません。つきあう相手にしても一方的に振り回してくるような人ばかりでは困ります。「お前はダメだ」と決めつけて相手を不安にし、一方的にコントロールするような相手とばかりつきあっていると余裕がなくなり、自分の子どもにもつい同じことをやってしまいます。そうすると子どもにも「ダメな自分」というイメージが根づき、自分を大切にしてくれる人よりも、否定的にかかわってくる相手にばかり気をとられてしまうようになります。
 子どもにとって有り難い「まあまあ余裕のある」大人であるためには、自分を普通に大切にしてくれる相手とちょうどよい距離で付き合っている必要があります。そのような人間関係の中で自分をほどほど大切にして生活することが余裕をつくるでしょう。友人やパートナーなどの自分を大切にしてくれる他者の存在は、大人にとって自分を大切にしやすくしてくれます。またそういう相手を友とし伴侶とすべきでしょう。
 大人にとっても子どもにとっても必要なのは人とのつながりによる安心感です。しかし子どもはつきあう大人を選べません。つきあう相手もつきあい方も選べる大人は、その権利を生かして「まあまあ余裕のある大人」であることが自分にとっても、自分の子どもにとっても大切なのです。人とのつながりによる安心感をお金や地位、世間体などで代替しようとするとキリがありません。まっとうに「人」とのつながりで安心するには、自分の無力を受け入れる「力」が必要なのです。