第93回 人間関係を考える(3)~旧世代と若年世代の人間関係(下)~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2002年7月14日
人間は基本的に親密な人間関係を望んでいます。これは私たちの安心感とスムースな生活の基礎となります。前回、旧世代と若年世代の人間関係の特徴を述べました。今回はもう少し問題点を明確にしたいと思います。
《ひとつの価値観の「わかり具合」》
旧世代は異なる価値観の存在を実感できていません。「みんな一緒、みんな仲間」というスローガンで強引な一体化をはかろうとします。要するに自分が常識だと信じる価値観しか世の中には存在しないと基本的には考えているのです。つまり「異なる価値観の他者がいる」というのではなく、 自分の価値観を80%理解している「80%の仲間」とか、30%しか理解していない「30%の仲間」というのがいるという発想なのです。つまり「価値観の違い」と考えているのではなく、ただ一つしかない価値観の「わかり具合」と考えていることが旧世代の特徴なのです。そのようなことから「こまやかな他者への気遣い」の一方で「異なる価値観を基本的に認めようとしない強引さ」が生じてくるのです。さらには他者だけでなく、自分に対しても常識(と思っているもの)を押しつけてしまい生きづらくなったりするのです。
《若年世代の「見えども見えず」》
若年世代が電車内や道路上でどんなにわがもの顔で振舞っていたとしても、彼らの「仲間」に対する振舞い方、気の遣いかたについては旧世代と同様です。仲間内ではどのように見られているかに非常に気を遣い、そこから排除されるようなマナー違反や悪いことはしようとしません。
若年世代と旧世代との最大の違いは、「異なる価値観の自明さ」です。そのために仲間の作り方や維持の仕方が全く異なってきます。若年世代においては単に学校が同じとか地域が一緒であるとかいうことが即座に「仲間」ということにはなりません。何か共有するものをアピールすることで仲間になります。「異なる価値観の存在が自明」である以上、同じような感性であることを仲間に対して繰り返しアピールしつづける必要があります。旧世代のように暑中見舞いや年賀状だけで済ませることはできません。朝に夕に携帯で連絡を取り合っているのです。
先に述べたように、旧世代は異なる価値観が存在するという前提すら怪しいという状態でした。若年世代は多様な価値観の交錯する時代の中で、異なる価値観の存在は自明となりました。しかし残念なことにそのような価値観の異なる仲間以外の他者とどのようにコミュニケーションをとるべきかという点については全く見本も示されず、教育も訓練もされていないのです。そのような彼らが今、仲間以外の他者に対して「見えども見えず」という態度をとっているのです。
《コミュニケーションの行方》
彼らに対して仲間以外の他者にも適応される「良心」や「気遣い」をどのように伝えていけばよいのでしょうか。これまでのように「みんな仲間」という非現実的な押しつけがましい論理ではなく、どのような概念でのコミュニケーション教育が可能なのでしょうか。また私たちのコミュニケーションはこの時代どのようにあるべきなのでしょうか。次回もう少し考えてみたいと思います。