第79回 「パワー」から「コミュニケーション」へ(10)~男たちの憂うつ(下)~

《実質「母子家庭」》

 日本の現在の状況は前回も述べたように「男性が企業戦士として外に出て働く」という戦争体制を常態化させたような社会システムです。単身赴任などということが当たり前のように行われている国などそうあるものではありません。諸外国からみれば「何のために夫婦をやっているのか」と疑問をもたれて当然でしょう。
 もちろん若い世代を中心にこのような夫婦の在り方が「常識」であるとは思わなくなってきています。しかし歴史的に浅いとはいえここ数十年連綿と続いてきた雰囲気は、若い世代にも当然影響を与えます。核家族化が進み、地域共同体がうまく機能しなくなった現在も「育児は母親が担って当然」であったり、単身赴任に全く抵抗がなかったりという感覚は、夫婦間のコミュニケーションに重大なギャップを生み出します。
 形はともかく実質“母子家庭”というのがこの国の常識です。それなのに何で結婚などしていたのかというと、一定年齢になると男性にも女性にも圧力がかかるしくみになっていたからです。男性は家庭をもたないと“一人前”と認定されなかったり、女性は親や親戚などから日々プレッシャーを受けたりするような状況になるためです。それでも結婚当初は “期待”もあるわけですが、社会システムの「常識」の前にいつしかそれも消えていきます。

 

《「本当の家族」は会社》

 人は人とのつながりがなくては生きていけません。それでは夫婦がコミュニケーションをもちにくい社会システムの中で、人はどのようにやっているのでしょうか。
 まず男性の人間関係のつながりは主に会社にあります。女性とのつながりを断った男たちの集団(たとえば軍隊)というのはその中で密な関係ができるものですが、そのような雰囲気がそこにはあります。例えば上司と部下で「夫と妻」のような雰囲気があったりする。生きるに必要な自尊心の唯一の供給源が会社における承認であったとしても不思議ではありません。日本の男性は会社の中で自分自身が「妻」や「子ども」をやったりしているわけであり、会社の中に本当の家族(?)があったりするのです。
 男性には「会社」という場が用意されている一方で、女性にはシステム上確立された場所がありません。そのため両親や友人、そして子どもといった対象に密な人間関係を求めていきます。夫とのコミュニケーションに対する諦めが極まるほど、その傾向は強くなるのです。

 

《「家族」を失った男たち》

 しかしこのような状況は現在大きな転機を迎えつつあります。まず「会社」が危うくなっていることです。最近は「能力と給与がつりあわない」ことを理由にリストラされることなど珍しいことではありません。リストラの有無に関わらず、会社というものが給料を得るところであって「家族」ではないことが明瞭になってきています。そのような現実をつきつけられ、確固たるつながりを失った男たちの不安と苦しみは大変なものです。これまで「パワー」に頼り、泣くべきところでも怒ってばかりいたような男たちが、平常なコミュニケーションを回復していくことは容易ではありません。しかしこのような “無理”はいつまでも続けられるものではないのです。