第4回 ドメスティックバイオレンス(3)~脆弱男の“赤ん坊返り”~

 先月30日、新潟の女性監禁事件の論告求刑がありました。当時小学4年生だった女性を下校途中に連れ去り、自宅2階の自室に長期に渡る監禁を行ったという事件です。9年2か月もの監禁が可能であった理由として、「学習された無力感」が背景にあると考えられています。監禁直後からの殴打や、ナイフ、高圧電流銃などを用いて繰り返し脅すという行為は、女性から「活路を見いだす意志」を奪い、加害者が外出中であっても「逃げられない」状態に陥らせました。これは前回触れたDV被害女性の「逃げられなくなるメカニズム」と同じものです。
 このような例からもわかるように、女性が逃げないのは「愛情」などとは全く関係がありません。単に行動の選択肢が著しく制限された心理的状況に追い込まれているに過ぎないのです。
 それではどうして一部の男性はそのような暴力を奮ってしまうのでしょうか。

 

《オトコが奮う暴力の意味》

 現在のようなオトコ社会では、女性は腕力だけでなく、経済力や社会的な発言力などでも圧倒的に不利な状況下にあります。このようなクソッタレ社会において男性がよくいう言葉に「誰に食わせてもらっている」「お前が働いてどれだけ稼げるんだ」「三食昼寝つきのくせに文句をいうな」「お前のような考えは世間では通用しない」などなどがあります。そのような有利な立場を利用して相手を否定し、女性が自分自身を信じる力を奪い、その上で思い通りにコントロールしようとする行為がDVです。
 そのような男性の言動を要約すると「オレは偉い、オレは強い、オレは正しい」「ボクってかわいそう」「だから言うことを聞け」「そうしてくれれば何とかなる」などということになります。
 このように並べるとわかりやすいと思いますが、これらは男性が酔っ払ってよく口にする言葉です。そうです。彼らはシラフであったとしてもパートナーを前にすると酔っ払ってしまうのです。
 「酔い」とは「赤ん坊返り」です。赤ん坊とは欲求の塊です。相手の気持ちや状況を思いやるということはなく、ミルクや抱っこなどを満足するまで求めます。 しかしこれを大のおとなにされたらたまったものではありません。

 

《「酔い」が必要な男たち》

 少なくとも一定の世代以上の男性は幼少時代から「男の子なんだから」というのを枕詞にさまざまなことを刷り込まれており、大なり小なり「男らしさ」に脅迫されています。「男は泣いちゃいけない」「強くなくちゃいけない」「妻子を養わなくてはいけない」等などを背負い込んで無理をしています。その無理のバランスをとるためにさまざまなことを男性はしています。偉ぶったり自己憐憫に浸ったりしても嫌がらずに世話をしてくれる「ママ」の元に高い料金を払って男性が夜な夜な日参するのもこのような理由からです。
 しかし自分の配偶者に対しあからさまな暴力をふるう男性はやはり一部です。ここまでの「酔い」が必要となってしまうのは、その男性が「オトコとして生きることの条件(と彼らが思っていること)」に追い詰められ過ぎているからです。世間から「強くて」「偉くて」「正しくて」「能力がある」という形で見られていないと不安で仕方がないという脆弱性がDV男に共通してみられます。さらに自分の育った家庭でもDVがあって早くから暴力に曝露されていたとか、過保護に育てられたために「普通の扱い」を人からされると邪険に扱われているように受け取ってしまい不安になりやすいなど、それぞれに暴力を招きやすい要因を抱えています。
 いずれにしても自己肯定感が脆弱で他人の目にびくびくしている余裕のない男性が、配偶者に対し「オレを強いと思え、エライと思え、誰よりも大事に思え、どんな用事よりオレを優先しろ」などといって“酔っ払う”ことでバランスをとろうとしているのがDVなのです。