第68回 コミュニケーションを考える(11)~学級崩壊への処方箋(中)~

《日本の中高生の特徴》

 ある心理テストの日本と欧米における健常者のデータを比較した興味深い研究に出会ったことがあります。そのテスト上のある値について、「問題を抱えていない」日本の中高生の多くが、海外の中高生の平均からみて「考慮すべき異常値」の範疇に入ってしまっていたのです。
 その値とは「外界からの刺激に対し、感情を動かさず物事を大雑把に捉える」という一種の防衛スタイルを表わすものです。つまり大切そうな部分もみえてないことにする(心理的視野狭窄)ことで心理的エネルギーの節約をしているのです。感情をはさまずに物事の大雑把な特徴を捉えて淡々と仕事をこなすということは、ある意味で効率的です。しかし逆に「ロボット的」であるともいえます。
 日本において学校というものに適応し、目立ったことなく正常かつ平均でいるためにはこのような防衛スタイルを発達させることが多くの中高生にとって必要であるということでしょう。また少なくともこのデータが得られた10年以上前の状況というのは、学校的価値観が家庭や地域でも重視され、「より豊かになる」という目的達成に向けた価値観にみな疑いをもたないような周囲の一枚岩状況がまだ維持されていたのです。それに歯向かうのは大岩と相撲をとるようなものであったためにこのようなスタイルの形成が促進されたと考えられます。

 

《“ロボット”を要求しない教育》

 「みんな一緒に頑張ろう」「こんなふうに頑張ることが君のためだ」といって一方的に“指導”を繰り返す軍隊式の学校スタイルが岐路に立っていること、その崩壊を食い止めるためには“指導強化”というこれまでの方法では対処不能と考えられることを前回述べました。
 社会の大半に共有される目的が消失した今、一方的な“指導”で教室が統制されるはずがありません。不登校や学級崩壊は必然的な問題です。改革の眼目はいかにして教師と子どもの双方向のコミュニケーションにより目的(異なる価値観をもつ相手に対するコミュニケーションや基礎的学力)へ動機づけるかということです。
 ひとつは前回に触れたように教師のコミュニケーション能力向上に期待する方法です。これには教師の研修や採用の在り方における改革や少人数学級などが不可欠になってくるでしょう。
 そしてもう一つは教師のコミュニケーション能力だけに依存せず、システム的に生徒の主張を取り込む方法です。平たく言えば「生徒が先生を選ぶ」というスタイルです。「教師が職員室からクラスに出向く」のではなく、「生徒が生徒室(?)から自分が選んだ教師の授業を受けに行く」という形式です。例えば複数の国語教師(場合によっては近隣の学校の教師も含めて)の中から生徒自身が予備授業を受けるなどの吟味を行った上で、自分が1年間国語を学ぶ教師を選択するのです。そして学校生活上のさまざまな相談についてコミュニケーション能力に長けたチューターが対応しつつ、他者とのコミュニケーション(自己主張と共生ルールの大切さ、運用方法など)に動機づけていきます。これなら学級崩壊は論理的に起こりようがありません。筆者としてはどちらかというと「生徒が選ぶ」方が現実的な感じがするのですが、子どもに選ばせることに関するさまざまな誤解や抵抗が予想されます。子どもの自己選択については次回考えたいと思います。