第63回 コミュニケーションを考える(6)~今求められる保育とは~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2001年11月17日
他者とのコミュニケーションを円滑に始めるためには、ある程度の自己肯定感が必要であることに前回触れました。自分の世界観を受け入れられ、感じとった不安や恐れを表現し、それが相手に伝わるという人生の早い時期における体験は、他者とのコミュニケーションを始めるための最初の推進力になります。
《コミュニケーションの基礎を保証するシステムづくり》
このような観点からみると、周囲の「余裕を失っている大人」によって生じる児童虐待は、次世代のコミュニケーションの基礎を揺るがす大きな問題であるといえるでしょう。しかし全ての大人を速やかにラクにさせる魔法はありません。そうなれば現実的なのは育児システムの改革しかありません。つまり親の危うさが子どもにダイレクトに伝わることのないシステムを構築するのです。
現在の核家族に依存した育児システムは、大人が一人でも切羽詰まればそれがそのまま子どもに影響を与えてしまいます。親が365日24時間余裕しゃくしゃくなどということは考えられません。現在の状況では虐待が起こらない方が不思議です。一人の子どもに複数の大人が常に関わっているようなシステムが望まれます。
《「プロ」が関わる保育》
具体的には現在の保育園などの機能・位置づけを見直し、「コミュニケーションの基礎づくり」を目的にした教育をプロが行うという形が考えられます。そこでは子どもの世界観の把握に慣れたプロ(保育士など)がいて、子どもが自分の世界観を受け入れられ、感じとった不安や恐れを表現して安心するというような体験を重ねられるようにするのです。
子どもの個性は多彩であるため、ある程度余裕のある親であっても世界観の把握が難しい場合もあります。そのようなケースでは、結局叱ってばかりということになりかねません。ADHD(注意欠陥多動性障害)などの問題を抱える小児では、このような状況が顕著です。障害といわずとも子どもの個性によっては、周囲の大人にその子の世界観が見えにくく、結果として「叱る→突飛なことをする→叱る」というかみ合わないやりとりが延々と続いてしまうことになります。そのような場合、その子の世界観を把握して「自分の言動が他者に通じる(意図が伝わる)」 という体験をさせることのできるプロは必要不可欠となってきます。
《時代に合った育児システムへ》
いずれにしても一定レベルの企業戦士の量産に焦点づけした高度成長時代の社会システムは既にうまく機能していません。その下位システムである従来の「核家族システム」すなわち企業戦士の夫を専業主婦の妻が支えさらに次世代の企業戦士の養育に責任をもつという原理は、既に機能し得る前提を失っています。無理にそれを維持しようとするならば、夫(や舅姑)から妻へ、また両親から子への一方的なコミュニケーションになってしまうでしょう。
「いい学校、いい会社、いい人生」という原理を信じられ、科学技術などの未来に多くの人が希望をもてた時代と現在とは大きな違いがあります。「共有できない価値観」を前提としたシステムは変えていかねばなりません。
モノが溢れ、多様で異質な価値観が共存している現在、自尊心を保ちながら共存・共生できる条件は「他者とのコミュニケーション能力の向上」に尽きるでしょう。それを保証するシステムは行政すなわち社会が責任をもつべきものです。基本的に全て税金で賄われるべきでしょう。「女性が働きに出られるように」などという労働省的な発想とは異なるこのような「保育の充実」こそが必要な時代であると思います。