第57回 イジメを考える(補完)

 「教諭が不適切指導か。児童、ショック受け入院」という見出しの記事がつい先日の地元紙に載っていました。おおむね以下のような内容です。

 島根県のある小学校に通う男児(10)が、担任の男性教諭(42)が行った授業や指導などがきっかけとみられる精神的ショックで入院したことが分かった。
 家族などの話によると、同教諭は今年2月、仲間外れにされるなど普段から思い悩んでいた男児が欠席中に、仲間外れの是非を考える授業をクラス内で実施。同教諭はその後、児童たちが「わがままを言ったり、すぐ怒るところを直せばいい」などと書いた用紙を男児宅に持参し、両親と男児に見せた。
 同教諭は家族に対し「休んでいる彼のためにクラス全員の力を借りたいと思った」と説明したという。
 男児は8月下旬から病院に入院、心身症の治療を受けている。校長は「一切コメントできない」とし、市教委学校教育課長も「現時点ではコメントできない。学校に非はないという立場で対応している」と話している。
 島根県教委は、保護者からの訴えを受けて事情を聴いており「事実なら放置できない」としている。

 確かに「事実なら放置できない」問題といえるでしょう。
 記事の男児は「仲間外れ」というイジメを受けていました。これは時に暴言や暴力より人を傷つけるものです。まさに人の存在を否定するあからさまな行為であるからです。
 当然、教師や親は「被害者の自尊心を守ること」に力を注がねばなりません。イジメのような相手の存在を否定するような行為は加害者側が100パーセント悪い問題であり、加害者の不安や弱さの問題であること。そのために、だれもが被害者になる可能性があり、被害者には全く責任がないことなどを男児に伝える必要があります。
 ところが、この教師は被害者を守ることではなく「加害者がムカつく理由を被害者の中に探す」ことに力を尽くしたようです。そしてイジメ行為の責任を被害者に求めるというおよそ的外れな対応を行ったのです。これは教師がイジメに加担したのと同じことであり、男児のショックは察するに余りあります。
 学校で生じたイジメに対する教師や親の振る舞い方は、子どもにとってはまさに「死命を制する」といえるほど重要なものです。
 イジメ被害というのは、災害や犯罪被害にも決して引けを取らぬほどのトラウマ(心の傷)を残します。生きる上で前提としていた安心や信頼が崩れてしまうという体験は、さまざまな心身の変調をきたします。
 このような状態で最も必要になるのは周囲の人間からの揺るぎない承認の眼差しです。しかしどんなに好条件が揃っていても、安心感の回復は一気に進むわけではありません。周囲は本人が試行錯誤を繰り返しながら安心感を取り戻していく作業を「回復の強要」にならない形でサポートしていくしかないのです。
 男児の一日も早い安心感の回復を心より祈ります。