第56回 イジメを考える(下)

 かかわる人々をだれも幸せにしないのが、イジメという人間関係の在り方です。この問題の解決には、「問題であるという認識をすること」がまず必要となります。

 

《子ども同士の「いじめ」の扱われ方》

 「皆“平等”でなければならない」という建前のもと、学校現場で発生したイジメの場合、けんか両成敗的な扱われ方がほとんどのようです。つまり加害者を非難するかわりに、被害者にも「キミも○○を気を付けなさい。そんなふうだからイジメられるのだ」といった指導がなされることが多いのです。
 しかし、このようなかかわり方は残念ながら解決には結びつきません。それどころか、イジメを助長してしまう可能性の方が大きいといえます。
 また「みんな仲良く」という子ども向けの、大人のこだわりを持ち出して、加害者と被害者を両者呼び出して強引に握手させるといったこともあります。
 以前、いじめられた側の父親がそれをやり、被害者だった男の子は自殺してしまいました。イジメ被害に遭っている子どもは、「イジメられている」ということを認めないことで、ギリギリの自尊心で生きていることがよくあります。
 イジメられているのではないか、と大人に尋ねられても「一緒に遊んでいるだけ」と答えます。このような状態の子どもにとって「イジメられている自分」というスティグマ(不名誉、屈辱)は耐え難いものとなります。 この例の場合、被害者の男の子は父親の独り善がりの行為によって学校にも行けなくなり、家で親といることにも「いじめられるような自分」であることの恥と、罪悪感で耐え難くなってしまったのです。

 

《被害者に対して》

 先の例でも分かるように、イジメ被害をスティグマにしないことがまず必要です。
 イジメの存在が感知された際、まず被害者にはどのようなことがあったのかを確認します。そしてイジメという行為は加害者が100パーセント悪いこと、そして被害者は100パーセント悪くないことを伝え、この問題の解決にどのようなことをしてほしいのか、あるいはしてほしくないのかということを尋ねます。取りあえず一人でやってみるということならば、いくつか助言を与えてもいいかもしれません。
 数々の著書で知られる教育学者で作家のトリイ・ヘイデンが来日した際、この点に触れ「まず相手の目を見て『NO(ノー)』を言いなさい。次ぎに強く『NO』を言いなさい。それでも相手がやめない場合はだれかに相談しなさい」というアドバイスをすると語っていました。
 これもなかなかいいと思います。被害者に目を真っすぐ見られて「やめろ」と言われたら、加害者の大半はひるむでしょう。もともと自信を持てるようなことをやっているわけではないのですから。

 

《加害者に対して》

 前回触れたように、加害者というのはやはり自分の存在に安心感が持てていない状態です。つまり加害者も被害者的な心情を十分持ち合わせているのです。
 今、級友をイジメている加害者が親や兄弟、他の大人、かつての級友からイジメ被害を受けていた可能性も十分あるのです。加害者に事実確認する場合は、被害者とのやりとりの状況を、自分の気持ちと相手の気持ちの類推を含めて尋ねることが有効でありましょう。
 そして、相手に言いたいことがある場合はイジメ的な手段ではなく、きちんとしたコミュニケーションで伝えることが大切であることを伝えます。

 

《日頃から周知させておくべき》

 学校現場ではイジメという人間関係の在り方の問題点、そして加害者側が100パーセント悪い問題であり、被害に遭ったら黙ってそのままでいる必要のないことを日ごろから全員に伝えておかねばなりません。
 このイジメ問題解決の延長線上ないし前提として位置付けられるのが、「まともなコミュニケーション教育」でしょう。詳しくは次回以降に触れますが、これが行われていないことには、子どもたちが成長した後もイジメは企業の中でも家庭の中でも引き続き行われてしまうのです。