第52回 現代社会と心身疾患(3) うつ病(下)

 ある精神科医が友人の医師から「同じ薬を出しているのに何でお前のところだとよく効くのか」と尋ねられ、「そりゃ、診察室が違うサ」と答えたというエピソードを以前、何かの本で読んだことがあります。なかなかの名言です。今回はこの「診察室が違う」という答えの意味するところについて、述べてみたいと思います。

 

《養生ということ》

 病の養生といってイメージされるのは、その治療が劇薬を使ったり手術で全ての病根を取り去ったりするのではない「柔らかい治療」であること、また個人の自然治癒力を十分に活用したものであることです。
 心身疾患や整形外科領域の疾患については、特にこれを重視しなければ治療自体が成り立たないでしょう。
 「病を得て、医者にかからないのは、中程度の医者にかかったのと同じ」という意味の中国のことわざがあります。
 医者というものが、患者の回復にとって「余計なこと」をしがちであることを示すものでしょう。余計なことをしないということが、医者としての最高の技術に属するということでもあります。
 良い養生のためには、余計なことをしないうえに、病の回復過程におけるさまざまな状態に落ち着いて付き合い、回復の妨げとなっているものを丁寧に取り除いていく姿勢が大切となります。
 この養生のために必要なことは、本人が現在どのようなことが生じているかを理解し、薬の効き方と回復過程に「同意」していることです。そうでないと安心して回復のプロセスをふめないのです。
 例えば、「休めない状態」の持続によりさまざまな症状が生じているうつ病の患者さんが、現在の自分の状態と休養の必要性、今後起こってくる「回復過程の状態」について、あらかじめ説明され同意していなければ、「休ませる薬」などまともに飲む気にはなれないでしょう。
 見通しがつかない不安から「動きたいのに動けない」「頑張らないといけないと焦る」「余計休めない、余計動けない」という悪循環にはまったまま動けなくなってしまうのです。

 

《周囲の人たちと共に》

 病を得た人であろうと健康人であろうと、私たちの安心感に最も寄与するのは他者とのかかわりです。
 人にとって孤独ほど耐え難いものはありません。症状もつらいでしょうが、それ以上につらいのが「わかってもらえない」つらさです。
 うつ病は、ほかの病気より「わかりにくい」病気であり、本人だけでなく、家族もまたやみくもに不安になり焦るようになります。ついつい「いつになったら治るんだ」「仕事はどうするんだ」「根性の問題だ」「もっとつらい人はいる」など無茶な励まし(説教?)をしてしまい、本人の焦りを増してしまい回復を妨げてしまうことになります。
 うつ病からの回復過程の理解と同意は、本人だけでなく周囲の人たちにも必要なことなのです。そして理解と同意を得られれば、良い養生を行うためのこれ以上ない味方となります。

 

《元に戻ることではなく》

 うつ病のように体質や周囲の環境などに深く根差す心身のアンバランスを一気に治してしまうことは、患者さん本人や家族が病気を「なかったこと」にして元のような無理の多い生活にただ戻ることにつながりやすいでしょう。
 薬についても「休ませる作用」の面を軽視すると、一時はよくても後にさらに疲れ切った状態にしてしまう危険があります。
 時に患者さんから聞く「うつ病になってよかった」という言葉には深い含蓄があります。「元のような無理ができるようになること」が治療の目標ではつらい。うつ病のために養生をすること自体が、以前よりも良いバランスで自分の感覚や感情をいかしながら生活できることにつながるというのが理想でありましょう。
 私たちは心身が思い通りにならなくなったときに初めて、自分自身や周囲の人たちと本当の「対話」をするチャンスに恵まれるのかもしれません。