第36回 嗜癖の時代(5) アダルトチルドレン(中)
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2001年5月12日
アメリカのアルコール依存症の臨床から産み出されたアダルトチルドレン(AC)という概念が、どのようにして広まっていったのかということを前回お話しました。
もともとアルコール依存症という問題を抱えた家族の中で成長した人の特徴を指したこの言葉は、アルコール問題に限定されずに、多くの人々の言い表しようのない「生きづらさ」に形を与えました。どのような問題でも名づけられることは重要です。それにより問題を否認せずに真正面から取り扱うことが可能となるからです。
《日本におけるAC概念の反響》
80年代のアメリカを席巻した「AC」は、90年代半ばアルコールや摂食障害などの研究者であった斎藤学氏などの書籍によって日本に紹介されました。そしてやはり多くの人の共感を得て全国的な動きがありました。
当時、東京の斎藤氏主催の研究所と付属クリニック(診療所とはいえ常勤職員が60~70名いるようなところでした)にいた筆者は、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から押し寄せる相談者の数と熱気を今でもまざまざと思い出します。朝の9時から夜の9時まで診療しても、初診の予約待ちが2カ月月近くになるような時期もあったほどです。
《機能している家族と機能不全家族》
日本に紹介されたACは当初からアルコール問題に限定されないスタンスをもっていました。「アルコール問題を抱えた家族」から拡大して「機能不全家族」という言葉が用いられました。
家族の機能とは子どもに安全の場を提供することです。子どもにとって安全で、心の成長を育める場というのは、見たもの感じたものをそのまま表現し、受けとめられ、やりとりすることができるところです。そのような場で、子どもは不安や恐怖を表現して、大人とのやりとりの中で安心します。日常の中で生じた疑問を親にぶつけ、不安の種を解消していきます。不満や欲求を怒りとして表現し、親と向き合い、徐々に「自己主張」といえるレベルまでに怒りを洗練させていきます。
このような日常生活の中で子どもの心の成長がなされ、安心感が蓄積されて情動が安定し、自分も他人も大切にできるようになり、他者に対して上手に自己主張ができるようになっていくのです。
しかし、強固なルールが支配する家では、家族の各人にはそれを維持するための逃げることのできない役割が割り当てられています。個人が見たこと感じたことをそのまま表現することは許されません。一種のカルトか全体主義国家のような雰囲気があり、その場を支配する空気が各人の行動を厳格に拘束します。触れてはいけない秘密がたくさんあり、割り当てられた「役割」から外れる言動は一切許されません。外部との自由な交流も制限されます。
そのような家族の緊張した雰囲気の中で子どもは、大人からさまざまな侵入と強制を受け、少しでもその緊張を下げるために自ら積極的に拘束されるようになります。嬉々として独裁者をたたえるカルト構成員のように、その狭くて不自由なルールの中での「良い子」になっていくのです。そして「自分」を見失っていきます。