第34回 嗜癖の時代(3) 共依存

 前回は「酔う」ことの意味と嗜癖者の特徴である対人恐怖と二重人格などについてふれました。今回は「酔っている嗜癖者」に付き添っている一見、元気な女性たちについて述べたいと思います。

 

《女性の求めるパワーとは》

 誇大的になり、自己憐憫(れんびん)に入り、ついには昏迷(こんめい)状態に陥るという酔い方は、どちらかというと男性のものです。同じ酔いでも、やはり個人差だけでなく性差があります。
 これはその社会が期待する性役割が反映していると思われます。男性が「強く、賢く、人に負けない」ということを社会的に求められていれば、酔いによって生じるのは「俺は強い、俺はデキる、あいつは馬鹿だ」といったものになりやすいのです。そのようなパワーを男性は求めているからです。
 一方、女性が求められ、そして女性自身が求めているのは、そのようなマッチョで直接的なパワーではありません。女性的なパワーとはつまるところ「キミがいないと困る」「キミなしでは生きていけない」という人間を周囲にもつことです。
 酒場では、男性が酔えば酔うほど,元気になってあれこれ世話を焼いている女性をよく見かけます。これこそ女性が求められ、求めているパワーであるかもしれません。

 

《アルコール依存を支える女性たち》

 経済的にも社会的にも大きなダメージを伴うアルコール依存は、「一人で」長年続けることは困難です。仕事が成り立たなくなったときには金策に走り回り、寒空に玄関の外で寝てしまっていても、必ず探し出して布団に入れてくれるというような人間の存在が必要となります。逆にいうと、そのような支え手がいるからこそアルコール依存が長年維持されているともいえます。
 アメリカの専門家は、自分というものをもたず、パートナーのアルコールのことで頭がいっぱいの支え手の女性たちを「共アルコール症」と当初呼びました。これが後に「共依存」といわれる概念になっていきました。そのような女性たちの中には、離婚の相手も再婚の相手もアルコール依存症者だったり、さらに自分の父親も問題飲酒者であったりする人もいます。
 なぜこのような男を選び、懸命に支えてしまうのでしょうか。

 

《必要とされる必要》

 脆弱な自己肯定感から生じる不安から男性はパワー志向を強め、そこで生じる不快感情から嗜癖に走ります。それは共依存の女性も同様であると考えられます。ただし、男性のように筋力や金力を目指すことはありません。そのようなことは通常女性の自己肯定感を底上げしないからです。
 多くの場合、女性は母性的なパワーを用いて人を支配し、自己肯定につなげようとします。パートナーが自分なしでは生きられないような状態であることは、その意味では大変望ましいことなのです。プライドばかり高くて実質の伴わない不器用な男を懸命に支えるのは、この「必要とされる必要」のためです。
 しかし酒が真の満足を与えてくれないように、このようなパートナーとの関係は決してその女性が本当に欲しているものをもたらしません。共依存の女性たちの回復も、依存症者と全く同様です。そのままの自分が受け入れられ、尊重されるような場と人間関係の回復が必ず必要となってくるのです。