第27回 ドメスティック・バイオレンス(2)

 ドメスティックバイオレンス(DV)の被害者の話をお聞きしていると、信じ難い理由で暴力を振るわれています。ある女性は、夫が入浴後、速やかにタオルを差し出さないと暴力を振るわれるため、ふろ場の気配に息を殺して気を配っています。またある女性は、夫が帰宅時間になるとお皿を洗う水道の水も細くして玄関の様子に注意を払っています。夫が玄関に近づく音に反応して自動ドアのようにドアを開けて「お帰りなさい」と迎え入れないと機嫌が悪くなるからです。

 

《暴力の意味》

 暴力という一方通行の表現は、爆発的で一方的な怒りの表出ですから一種の<赤ん坊返り>と言えます。自分の不快感を赤ん坊はこのような形でしか表現できません。おしめがぬれた、腹がすいた、抱っこしてほしいのにそうしてくれないといったことで、赤ん坊は怒り、泣きわめきます。大人にもこのような不快感に伴う怒りは当然存在します。しかしこれを“自己主張”としてゆっくりと表出し、周囲とのコミュニケーションによって自分の環境を快適なものにしていくという、ゆとりとスキルを持っているのが普通です。

 

《脆弱な自尊心》

 大人になっても<赤ん坊返り>を必要とする人というのは、この自己主張が下手な人なのです。自分の快不快という感覚に対し、周囲とのコミュニケーションによってより良い環境にしていくという発想が持てない人です。このような発想をするには健康な自己肯定感を必要とします。基本的に自分は人に受け入れられ、大切にされているという安心感が健全なコミュニケーションには必要です。これが乏しいと常に周囲の目を気にして、いつも自分は我慢しているという感覚を持ちながらの生活となります。そのために一生懸命“いい人”をしたり、“男らしさ”などを必死にアピールせざるを得なくなります。
 このような生活をしている大人の男性には、アルコールなどへの耽溺や、パートナーを相手にした<赤ん坊返り>の習慣(すなわちDV)に陥る危険性が付きまといます。アルコールへの依存と同様で、パートナーが自分のことだけを考えてくれる状態であることに依存しているのです。「いいママじゃない」と怒っているのです。これは人間の基本的な安心感に根差した問題であるため、容易なことでは止まりません。暴力の後に涙を流して謝罪したとしても、“我慢”の生活はいつか爆発します。意志の強さで治るようなものではないのです。自分の基本的な不安と緊張に対する治療と癒しを考える必要があります。暴力が介在する夫婦関係を続けてはいけません。即刻解消すべきです。そこから治療も始まります。

 

《周囲の協力の必要性》

 暴力夫は外づらがいいのがむしろ普通です。周囲の人間に必要以上に気を使いますから、“いい人”“気前がいい”などと周囲に受け取られていることが多いのです。長年“いい子”をやってきたりしていますから、高学歴で一流会社に勤めていたりします。一方、同じような本質を抱えていても「オレは強い。男らしい」という虚勢や横柄さがあからさまな場合もあります。絵に描いたようなチンピラ的外見のため、このようなタイプだと妻の暴力被害を周囲が真剣に考えてくれやすい“利点”があります。逆に前者は外づらがいい分だけ離婚などに関して周囲の協力が得にくいのが難点です。夫の肩書や外づらに惑わされて「こんな立派な人が暴力を振るうなんて妻がよほど悪いのだろう」などと考えてはいけないのです。
 DVから逃れるためには周囲の理解と協力が不可欠です。特にこのようなケースの離婚に多数かかわる調停員や婦人相談所などの関連機関の相談員の方などには、ぜひとも理解してほしいと思います。あなた方の無理解は女性にとって“二次的な暴力”となり、傷ついた被害者をさらに追い詰めることになるからです。