第26回 ドメスティック・バイオレンス(1)

 「ドメスティック・バイオレンス」とか「DV」という言葉を最近よく耳にします。これは直訳すれば「家庭内での暴力」という意味です。そしてこれが表すのは、夫や恋人などのパートナーから主に女性が受ける身体的精神的暴力のことです。数年前から東京都が本格的な調査に乗り出したり、参院から防止法案が提出される動きもあり、最近ようやく認知度が高まってきています。ここのところ児童虐待のことについてお話していましたが、それにも大きくかかわりがあることです。母親が夫からの暴力に常に緊張とおびえを感じているような状態で、子どもに対して“虐待度の低い”養育を行うことは困難であるからです。

 

《殴られる女性》

 配偶者や恋人から暴力被害を受けている女性のことを「バタードウーマン(被虐待女性)」と呼びます。夫からの暴力を黙々と受けている女性というと、弱々しく、能力の低い女性を想像されるかもしれません。ところが事実は大きく異なります。私がみた限りでも教師、美容師、医師、弁護士、会社役員など、無力で能力が低いとはとても思えない女性が、夫や恋人からの暴力を受けているのです。暴力を積極的に受けたい人はいません。それではどうして殴られ続ける(逃げない)という状態に陥ってしまうのでしょうか。そのメカニズムについてお話いたしましょう。

 

《学習された絶望感》

 少し前に新潟で9年間監禁されていた少女の事件が話題になりました。犯人の自宅における長期間の監禁はなぜ可能だったのでしょうか。それには学習性絶望感(learned helplessness)というメカニズムがかかわっています。これは例えば次のような実験があります。絶対に避けられないような拘束の中でイヌに電気ショックを繰り返すと、いつでも自由に逃げられる状態にした後でも、そのまま黙々と電気ショックを受け続けるという現象です。つまりこのイヌは“絶望感”を学習したのです。
 監禁された少女は当初、何とかして逃げようとあがきました。しかしその都度ひどい暴力を受けたり、「家に帰ったってだれもいない。お前の両親はみな死んだ」といったようなことを言われたりしていました。このような状態が続くと、逃げる希望を持っていることの方がつらくなってきます。人には徹底的な絶望の方がむしろ楽なときもあるのです。少女が「自分には救いがない」ことを自分自身に徹底的に教え込んだ結果、犯人が外出している時にも、彼女は救いを求める行動を起こさなくなりました。その結果9年間もの監禁が可能となったのです。
 これと同様のことが被虐待女性にも生じます。「パートナーは選び直すことができる」「別れたってやっていける」「だれかが助けてくれる」という当然の発想を持てなくなり、目先の男の機嫌ばかりを気にするようになります。これは彼女らが自らの状況の“救いのなさ(helplessness)”を学習してしまっているからです。

 

《何により監禁されていたのか》

 実験動物における電気ショックにあたるものが夫からの暴力とするならば、被虐待女性を逃がさないように当初から拘束し監禁していたものはなんなのでしょうか。それは「男の暴力」「結婚・離婚」といったことにおける周囲の認識です。男性がパートナーに奮う暴力について、妙に寛容な社会的土壌が残念ながら今でもあります。そして結婚生活を維持する上で、女性に我慢や努力をやたらと求める風潮も根強く残ります。これはオトコ社会における男の甘えを満足させるための実体のない“物語”です。しかしそのオトコ社会の枠組みが成人男性の暴力を含む「甘え」まで許容することには大きな問題があります。
 われわれは被害女性の声をしっかりと聴く姿勢をもつべきです。「酒が入ると男にはよくあること」「お前が○○だから夫の機嫌が悪くなるんだ」「離婚をしたら子どもがかわいそう」等の無思慮な言葉であしらっては断じていけないのです。そのような周囲の態度こそが、彼女らを暴力男性とともに監禁し「絶望感」を強要してきたのですから。