第25回 読者からの声(1) 自分を抑えることができない
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2001年2月24日
今回は鳥取県からの匿名の女性からの投書をまずご紹介しましょう。
このシリーズの記事を読んで、育児に対して悩むことが多い私にとって、とても参考になりました。
3歳くらいまでは、子どものためにも母親がしっかり子どもを見なくてはいけないと周囲から言われ、私自身もそう思っていました。私の主人は不規則な仕事で、夜は遅く朝は早い。土、日曜日もだいたい仕事。時には数カ月間もの長期出張もあったりして、ほとんど育児に携わることができない状態でした。マンションでほとんど周囲の人との接触もなく、1日中、子どもと2人きりで過ごしてきました。育児のことが分からず本を読んで、その通りにいかないとひどく落ち込んだり、母乳で育てようと頑張りましたが、母乳の出が悪くてイライラし、悲観的になる毎日でした。ストレスがたまり、ちょっとしたことがとても気になり、子どもに強くしつけをしたり腹を立てたり…。
私も子どもも良くない方向に行ってしまう…と何となく感じ、周囲の反対もありましたが、思い切って保育園に預け、私は育児の妨げのないようパートで働き始めました。子どもと離れている時間があることで、私自身は子どもにより一層愛情を感じるように接することができるようになりました。
しかし、現在、3歳になって自我が芽生えるようになり、私の思うようにならないと、ついカッとなり手は出ませんが無視したり大きな声でしかったりします。主人は「何でそんなことで怒るんだ」とよくいい、自分でも良く分からなく、後でしかったことを後悔し自分を責めたりします。カッとなると自分を抑えることができなく、どうしていいか悩んでいます。
この記事を読んだらどうしても心の内を打ち明けたくペンをとりました。虐待が大きく問題となっておりますが、この親の気持ちも多少理解できますが、やはり虐待のニュースを聞く度に涙が出てしまいます。育児、親としてこれからどう接すべきか、まだまだ悩み続けそうです。
このお母さんはなぜ「カッとなると自分を抑えることができなく」なってしまうのでしょう。多くの方には母親の“個人的な”問題のようにみえると思います。しかし実はそうではありません。そのようにみても、何も解決しないどころか、母親に対する思慮を欠いた非難や母親の自責を引き出して事態をより悪化させてしまうだけです。
《「よい母になれ」という矛盾》
まず親が子どもをかわいいと思えるのは、自分の自己愛を投影しているからであるという原則を再度、強調しておきます。子どものささいな言動を許容できない状態とは、今母親が周囲から扱われている状況を反映しているのです。おそらく、このお母さんは他者の思いを自分のそれよりも優先することが必要であると考えて生活している素朴な方でしょう。
周囲から期待される自分の役割を素朴に受け入れ、それをこなさねばならないと必死で頑張っている様子が浮かびます。「専業主婦なのだから家事育児で夫や親に負担をかけてはいけない」「仕事に“出させてもらう”にしても、当然家事育児に手抜きがあってはならない」などの“常識”をほとんど疑わない人でしょう。しかし、お母さん自身も周囲もそのように考えている限り、状況が改善する見込みはほとんどありません。
育児をする女性に対して現在、実に多くの情報(その多くは圧力)が与えられています。夫や親兄弟、親戚、近所などからは思い思いの“あるべき姿”を強要されています。専門家からはさまざまなメディアを通して子どもの素晴らしさやその尊重を説かれ、母親である自分の“未熟さ”を思い知らされます。
しかし、母親自身が尊重されていない状態で一体何ができるというのでしょうか。常識ロボットのように動けることが“成熟”であるはずがありません。基本的な安心感の十分な蓄積がなされた状態が成熟なのです。未熟を非難するということは「お前は駄目だ」といってその人の安心感を削いでおきながら、成熟を強要しているという点で矛盾しています。それと同様で「やさしい母になれ」という周囲の母親非難は、論理的に成立しないものなのです。「大変だね。手伝うよ」。それだけでいいのです。
《解決に向けて》
投稿の女性にお伝えしたいことは、「抑えることができなく」なってしまうのは当然だということです。これ以上自分を抑えてはいけません。ただし「子どもの悲鳴」ではなく、あなた自身の悲鳴を周囲に向けて発しましょう。無条件にもっと自分にやさしくしてくれることを求めましょう。そんなことはとてもできないと思われる方は仲間を見つけることです。自分の気持ちをもっとはっきり確認できます。同じような状況で子育てをしている女性なら、きっと共感しあえる相手がみつかるでしょう。残念ながら同世代の同性の悩みにあまりにも冷淡な女性もいます。オジサン社会の常識にすり寄ることで自分の安全を確保しているタイプの人です。あなたにとって危険な人物ですから近づかない方が賢明です。