第23回 米子乳児虐待死亡事件(4)
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2001年2月10日
地域共同体の連帯が濃密さを失うにつれ、多世代の同居が少なくなるにつれ、子どもは核家族の中で養育されるようになっています。核家族による子育ての欠点は、子どもに対するケアの安定供給に問題が生じやすいことです。親の体調不良やストレス過多がダイレクトに子どもに影響してしまうからです。その脆弱性を補う役割を担うのが、親の持つネットワークです。親を支える親族、友人知人、行政スタッフなどの支えが大きな役割を果たします。逆にこの支えが期待できない場合、“虐待指数”の上昇は避けられません。事件の両親はどのような環境にいたのでしょうか。
《職場での人間関係》
殺害されたCちゃんの父親A夫と母親B子は、平成11年6月に山陽から米子に転居してくるのと同時に結婚しました。A夫の転勤のためです。それまでの職場で、彼は母性的な上司や同僚に恵まれ、快適に生活していたようです。そんな折、交際していたB子の妊娠が分かり、さらに見知らぬ土地への転勤が決まったのです。
A夫のように肥大した自尊心を抱えている人の人間関係には特徴があります。密度の濃い母性的注目が得られるような職場では非常に生き生きとします。多少お節介すぎるように見える上司や同僚も、彼のように“濃い空気”に慣れてきた人にとっては快適なのです。逆にノルマの達成と自己責任を普通に求めてくるような上司は、彼にとっては冷たすぎると感じます。残念ながら転勤先はあまり母性的な職場ではなかったようです。転勤後ほどなく、A夫は腰痛を患うなどして会社を休みがちになります。職場は当然ながら「理解がなく」、給料は減り、きちんとした出勤を彼に求めてきました。そしてますます「だれも分かってくれない」という感覚と孤立感を高めていったようです。
《夫婦関係と親子関係》
近くに友人もなく職場でも孤立していたA夫にとって、大切な人間関係として妻のB子との関係があります。B子にとってもそれは同様でしょう。この両者の夫婦関係の特徴の一端をよく表していると思われるエピソードがあります。Cちゃんの出産の折、A夫は以前の職場で仲が良かった同僚の結婚式のために遠方まで出掛けていたというのです。Cちゃんはほぼ予定日通りに生まれていますからハプニングではありません。このような“甘え”は通常の夫婦関係では許されないことです。A夫にとってB子は大切な存在でした。しかしそれは「いつもボクのことだけを考え、すべてを受け入れてくれる」という、まるで子どもが<ママ>を大切に思うような形であったようです。彼に見えていなかったのは、妻のB子もまた、A夫に“承認”を求めている一個の存在であるということでしょう。
知り合いもいない慣れない土地で、いつ陣痛が始まるか分からないような時期の夫の遠出に対し、どうしてB子は怒らなかったのでしょうか。それは元被虐待児である彼女が「自分のようなものを必要とする人間がいるなんて不思議」という感覚のままに、A夫と夫婦をやっていたからであると考えられます。「夫に気遣われ大切にされる」ことを期待するだけの安心感を彼女は持てずにいたのです。
この2人はなぜ結婚したのでしょうか。そしてなぜ自分たちの結婚を親に話すこともしなかったのでしょうか。
A夫は親から逃れるようにして、自分をすべて受け入れてくれそうなB子との結婚を選んだと考えられます。しかしB子との結婚は親の意図から大きく外れることだったのでしょう。親に見捨てられる不安の呪縛から自由ではなかったために、自分たちの結婚を伏せたと考えられます。一方のB子の方は「自分をこんなに必要としてくれる人がいるなんて」という動機で結婚したと考えられますが、それを親に伝えなかったのは、自分の結婚に、つまるところ自分の存在に、親がそれほど関心を持っているように思えなかったからかもしれません。
《Cちゃんの誕生》
親族や友人知人とも距離があり、職場でも孤立しがちなA夫。そして他者との交流もなく社宅の中でほとんど閉じこもりきりの生活をしていたB子。平成11年11月6日、このような状況の2人を両親としてCちゃんが生まれました。その誕生をA夫は喜びました。とてもかわいいと思ったそうです。その姿を見てB子もうれしく思ったことでしょう。しかしCちゃんは人形ではありません。昼夜を問わずに泣きました。ミルクをうまく飲まないこともしばしばでした。このような一個の存在を丸ごと受容して愛するという余裕は、この時の2人には望むべくもなかったのです。