第20回 米子乳児虐待死亡事件(1)

 昨年は、非常に多くの虐待死亡事件が報道されていました。今回は昨年3月、米子市で生後4カ月の乳児が両親からの暴力により後日死亡してしまった事件をとりあげます。乳児が重篤な状態で病院に運ばれたその日に両親は逮捕され、これが鳥取県で虐待を理由に親が逮捕された初めての事件となりました。この事件は「虐待」問題の背景とされる多くの要因を含んでいます。事件の大まかな経過は以下のようなものです。

 

《事件経過》

 死亡したCちゃん(当時4カ月)の両親は、広島県から1999年6月に米子に転勤してくるのと同時に結婚しました。そして、同年11月6日に長女として生まれたのがCちゃんです。この結婚と出産は、彼らの両親には伝えられていませんでした。社宅で3人の生活が始まりましたが、新しい職場に父親のA夫(当時21歳)はなじめませんでした。ほどなく腰痛による欠勤が続き、イライラしていることが多くなりました。
 一方、母親のB子(当時23歳)の方は、社宅の中で他者と交流をもつことなく生活していました(妻が社宅内の人間関係を広げることを夫が望まなかったこともあるようです)。通常ならば、妻から夫へ数々の要求や甘えが出てしかるべき状況ですが、B子はA夫に対して寡黙で従順であったようです。Cちゃんにかかわる大人はこのような状況の両親のみでした。彼らは自分の親や友人、知人、職場の人間関係などから孤立していたのです。
 このような状況の中で、育児という夜も昼もない作業を引き受けることはできません。Cちゃんは夫婦とは別室で寝かされるようになり、年が明けた1月中旬ごろから夜泣きに怒った両親から平手で殴られたりするようになりました。その後、Cちゃんが思うようにならない度に両親はぶつようになりました。そして3月7日夜「ミルクを飲まない」Cちゃんを交代で殴り、父親のA夫はソファに放り投げ、腹部を殴るなどしました。7日深夜、異変に気付いた両親からの通報で病院に救急搬送されましたが、3月9日早朝、Cちゃんは亡くなったのです。

 

《虐待のとらえ方》

 この事件をどのようにとらえることが、私たち社会の今後につながるのでしょうか。時代が悪いとか、両親が悪いとかいっても仕方ありません。このようなことが生じてくる背景はわれわれが共有しているものです。以前にお話したように、子どもをアビューズ(乱用、虐待)することはすべての親や大人に共通しています。虐待者とそうでない人間がいるのではなく、程度の差でしかありません。同じ個人でもそのときの状況によって刻々と“虐待指数”が変化します。虐待は親のSOSであり、切羽詰まれば子どもの「時をわきまえない言動」は、子どもによる自分への攻撃のように感じられるようになり、それが親の攻撃性を引き出します。親の余裕が失われたとき、本来は一切の責任を問えない一種の“自然現象”である子どもの「責任」を問い、暴力をふるってしまうのです。このような虐待事件を通してわれわれが考えるべきことは、親の典型的な余裕の失われ方に対する処方箋でしょう。この事件からどのような教訓や示唆がくみ取れるのでしょうか。次回それらについて考えてみたいと思います。