佐賀バスジャック事件(11)

今年の3月5日、少年は強制入院となりました。入院前に彼が考えていた自分の卒業した中学校の襲撃という計画は、かなり対象が限定されている印象があります。しかし、この不本意な精神科入院によって、少年の恨みの対象は自分を疎外した社会全体へと拡散するのです。入院中の日記に、少年は「このうらみけっしてわすれない!!」「このくつじょくぜったいにわすれない!!」「このよのすべてのせいめいたいがぼくのてきだっ!!」「かならずはらしてくれようぞ!!」「スベテノチツジョヲホウカイサセル」などと書き連ねています。

このような敵意や怨念は、それだけで一種の神経症です。神経症とは、人や社会と接する際の防御のための鎧が重すぎて苦しい状態です。彼はこのような敵意に満ちたスタイルでしか外界と接することのできない状態となっていたのです。

《少年は「病気」だったのか》

少年の言動には、少なくとも狭義の精神病が原因とは考え難い、はっきりとした“正常”な脈絡と統一性があります。たとえ彼が精神病であったとしても、少なくとも部分的には責任能力は問える状態であったでしょう。先日行われた鑑定でも、精神病が犯行当日発症していたとは考えられないとして「完全責任能力あり」と判断されています。鑑定にある「解離性障害」という病名も、入院前に「もう一人の別の自分が、人を殺せと命じる」などと書いていることや、母親にも幻聴らしき訴えがあったことなどに引っ張られて一応つけられた、という印象です。

なお、逮捕後には「電波が来て“人を殺せ”と言った」「小中学校のころから声が聞こえていた」等と語っていたとのことです。しかしその後は“あからさまに精神病的”な発言は姿を消し、「派手なことをして社会にアピールしたかった」などと語り、事実経過についても一貫した供述をしているということです。逮捕直後の言動については詐病、すなわち病気を装った状態であったと考えてよいでしょう。

誤解があるかもしれませんが、狭義の精神病の人が殺人などを起こす確率は、“健常者”より低いくらいです。まして計画的かつ、緻密な凶悪犯罪などはしないものです。また、病的な体験に追い詰められて実際に殺人まで犯すほどの状態ならば、精神科入院やさらに厳密な診断が行われる精神鑑定で見落とされることはまず考えられません。当初からの筆者の主張通り、この事件は「病気」として片付けるべき問題ではないのです。

《外 泊》

少年の入院は「医療保護入院」という強制力のあるものでした。この入院形態では人権上の配慮から都道府県知事に患者が直接退院を請求することができます。少年は入院の10日後には早速、県の担当者に自ら電話しています。そのため5月11日(事件の一週間後)には県の精神医療審査会が、入院継続の妥当性を調査することになっていたようです。これが近づいた4月26日、29日と、病院は退院に向けて立て続けに外泊許可を出します。強制的な入院を継続させる理由、すなわち症状が乏しいことを病院が気にしたためかもしれません。

少年は入院中、精神病の症状はおろか、これまでの日常生活とは別人のような快活さと社交性を見せていました。朝になると「窓を開けましょうか?」と外気を取り入れ、病院スタッフには積極的に「おはようございます」と元気にあいさつをするという生活ぶりでした。

そして事件当日である5月3日、少年は外泊を許されます。彼はその日予定していたドライブを断り、一人でサイクリングに行くと言いだしました。革手袋をはめ、高速道路地図を持った彼の姿に、母親は一抹の不安を感じましたが、止める決心がつきません。母親は主治医に電話しました。「外出させて大丈夫ですか」と。主治医は「大丈夫です」と答えました。そのような及び腰で表面的なやりとりをしり目に、少年は家を出ました。
 このようにして、怨念と敵意に取り憑かれた少年はその日、西鉄バスに乗り込んだのです。

山陰中央新報連載(平成12年11月11日付)より