はじめに〜院長ブログについて〜

精神科医として活動するようになって四半世紀を過ぎました。
昔も今も僕の興味は「幸福に生きる」です。
自分も人も幸福であって欲しい。社会も人を幸福を支えるシステムであって欲しいと思っています。

15年位前まで、僕はメディアでよく発言していました。
目立ちたかったからではありません。怒っていただけです。

当時、テレビをつければマスコミ御用達の精神科医が嬉しそうに事件を説明していました。

「少年は何たら人格障害であり、この事件を起こした」みたいな解説です。

東京の某有名クリニックで臨床をしていた時、他の医療機関のやることでもっとも腹が立ったのは、家庭内暴力児を強制的に精神科病院に送り込んで、本人にも家族にも修復困難な傷を与えてしまう馬鹿医者でした。その馬鹿医者も僕の勤務先のボスも有名だったので、両方が関わる患者さんが結構おられました。

「佐賀バスジャック事件」が起きた時、僕は鳥取にいました。
連日テレビや新聞、雑誌などで事件の背景や著名人のコメントが報道されます。

無理矢理入院させた自分を正当化しつつ、外泊させた病院を執拗に批判していたのは、まさにその馬鹿医者でした。

怒りがこみ上げてきました。

それなら同じ土俵にのってやろう。何が問題だったのかを書いてやろう。どうすべきだったのかを書いてやろう。

そう考えました。
そのようにして始まったのが「“止まり木”求め さまよう心」と題した新聞連載でした。

この連載は結局5年近く続きました。
そこで言いたかったことは結局以下のようなことです。

動機のわからない少年事件や虐待などは、その当事者の特殊性からではなく、時代を共有する私たち自身と同じ「生きづらさ」から生じている。
私たちはそれをごまかしているけれども、ごまかしきれなくなったのが彼らである。
彼らを「異常」のレッテルで排除するのではなく、自分たちの「生きづらさ」を直視し、生き方を変えていこう!
それが「本物の幸福」につながるに違いない。

この「院長コラム」では、過去の連載のリライトなどもまじえ、通常の医療とは異なる側面から、健康と幸福を語りたいと思います。