第117回 「思考停止」症候群(2)~イラク戦争をめぐって(中)~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2003年4月20日
《米国のレトリック》
前回、イラク戦争をめぐる日本における「思考停止」について述べました。
米英による「独裁政権」「大量破壊兵器」「国連決議違反」といった攻撃理由など、大義名分にはなりえないことは明白です。
1979年イランの親米政権が倒れて後、フセインの「独裁政権」をクウェート侵攻直前まで積極的に「支援」してきたのが米国です。これは当然石油利権のためです。独裁政権など多数ありますが「親米ならば問題なし」というのが実際なのです。「大量破壊兵器」や「国連決議違反」といった問題ならば、イスラエルの右に出る国はありません。度重なる国連決議を無視し、圧倒的な軍事力をもってパレスチナの占領を続け、パレスチナ側のテロに対する武力報復を繰り返しています。しかし米国は一貫してイスラエルを擁護しています。その他、トルコやモロッコといった「イラク以上」に国連決議違反をしている国々についても、米国に本格的な圧力をかけられた話など聞いたことがありません。いずれも親米国だからです。
このようにみていくと米国のイラク攻撃の本質が中東の石油利権以外にはないことが明白です。それにもかかわらず先に上げたような「目的」を前面に出し、批判に対しては「フセインやテロが正しいというのか」と強弁します。このような圧倒的な経済力と武力を背景にした米国の見苦しいレトリックに対し、各国は概ね反発を覚えつつも顔色を伺っているというのが現状です。
《米国追従が意味するもの》
その中でも日本の条件反射的追従姿勢は目立っています。政治家や官僚は「さまざまなことを考えれば米国側につくしかない」と反射的に考えてしまうようです。しかし弱者が自分の利益維持のために強者に加担するという行為が、いったい何を生むのか。もう少し考えるべきでしょう。
自然界に生態系があるように、人間の社会環境も大きな「システム」です。「強者につけばOK」というほど単純なものではありません。それは生態系が肉食獣のみでも、草食獣のみでも成立せず、極端な偏りは全体の滅びに繋がってしまうのと同じです。しかし現在の米国の主張は、「勝者と敗者」「正義と悪」を作り、その敗者や悪は主権を奪われても、抹殺されても仕方がないという論理の枠組みです。西部劇じゃあるまいし、そんな単純な「正義」や「悪」で世界が把握できるわけがありません。しかも彼らの正義や悪は先に述べたように「目先の自国利益」以外に一貫した基準がないのです。
このような強者米国の姿勢が生んだ今回のイラク戦争と、日本をはじめとする強者に追従する国々の態度に「世界が滅びに向かうのではないか」という危惧を感じてしまうのは筆者の「考えすぎ」なのでしょうか。しかし道具を発展させ、ハイテク文明の道を選択した人類の共生と存続のためには、このようなシステム論的な思考を煮詰めていくのは必要不可欠であると思うのです。
次回、人間の攻撃性と戦争についてもう少し考えてみたいと思います。