第85回 「自己感覚」を生きる(3)~頑張って生じる「病気」~

《遮眼帯付けた競走馬》

 私たちは大なり小なり「世間並み」とか「常識」といったイメージを自分や自分の家族などに押しつけて現在生活しています。そのようなイメージに過ぎないものを自分の感覚を押し殺して自分に強制できるのは、幼い頃からそのようにしないとやっていけない環境に生きていたからです。そのような中で、生じてくる感覚や感情をそのまま受け入れるのではなく、最初から一定の鋳型への適合の可否を「検閲」するようなスタイルを確立していきます。それがあまりにも自動的になされるため、自分がどのような感情を抱えているのか、快いのか不快なのかということまでも分からなくなってしまっていることすらあります。
 ある心理テストの国際比較研究の中で、「問題を抱えていない」日本の中学生の多くが、海外の平均からみて「考慮すべき異常値」の範疇に入ってしまった値がありました。その値とは「大切そうな部分もみえてないことにして、感情をはさまずに物事の大雑把な特徴を捉えて淡々と物事に対処する」というスタイルを示すものです。平たく言えば「ロボット的」な対処スタイルです。このようなスタイルを海外の子どもと比較して「異常」なほどしなければ「普通」にしていられないというのが日本の中学生の現状といえるかもしれません。何やらレースに集中させるための「遮眼帯」を取りつけられた競走馬を連想させます。私たちは自ら視野を狭め、幻想でしかない価値を求めてレースを繰り広げているのです。

 

《生活を脅かす》

 さまざまな「かくあるべき」という幻想に追い立てられる私たちの合言葉は「頑張ろう」です。私たちは常に頑張っています。それは不登校の子どもであろうが、引きこもり青年であろうが、アルコール依存症の中年男性だろうが同様です。わかりにくいかもしれませんが、彼らは雪道でエンジンを吹かしすぎてあらぬ方向を向いたり、空回りして進まない車のようなものです。「かくあるべき自分」にこだわったり、「これではいけない」と焦りすぎてしまう結果、何も出来ない状態になっているのです。
 彼らに限らず、無理を重ねて維持してきた「枠組み」は何らかの形で破綻に向かいます。ある人は無理を支えるための喫煙や飲酒、食習慣などのために成人病などのさまざまな体調不良が生じるでしょう。また、うつ状態やパニックに陥る人もいるでしょう。アルコール、ギャンブル、買い物、借金などでバランスをとっていた人は「依存症」のレベルにまで悪化し、それが生活全体を脅かすようになるでしょう。自分の子どもとの関係でバランスをとっていた人は「子どもが3歳のときと同じような母子関係を中学生になってもやっている」とか「夫婦の責任で解決すべき問題を子どもに負わせている」ような不自然な関係になってしまう危険があります。そのような場合、親にとって最もインパクトのある形で子どもの逸脱行動や心身疾患が生じることがあります。例えば、性的に厳格でこだわりの強い家の娘さんに性的逸脱行動がみられたり、「家族はかくあるべし」というこだわりが強い家で家出が生じたりします。
 以上のような「病気」や「問題行動」といった悩みはどのように解決すべき問題なのでしょうか。これまでと同様に根性や努力で「頑張って」治すべきものなのでしょうか。またそのようにして治るものなのでしょうか。次回考えていきたいと思います。