第75回 「パワー」から「コミュニケーション」へ(6)~パワー信仰の時代と嗜癖(中)~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2002年2月17日
「パワーにより安心を得る」というのがこれまでの時代の安心の仕方であり、自分をゆったりと肯定できないという不安や自己不全感が人々を「パワー」に駆り立てていることを前回述べました。時代や性別、個人の生育歴などで求めるパワーはさまざまですが、いつしか「パワーを求める」という“手段”に過ぎないものが、人々の生活全体を支配し、安心という目的から人を遠ざけてしまうということに変わりはありません。そしてその皮肉な悪循環は「嗜癖」という形でよく象徴されています。
今回は主に女性が求めてきた「パワー」について述べてみたいと思います。
《必要とされる必要》
女性は男性のようにあからさまな「パワー」をあまり求めません。筋肉の強さや力こぶの大きさを競ったり自慢したりすることはありません。お金や権力をあからさまに求める人も少数です。それは女性にとってはそのような種類のパワーが自己肯定感をあまり底上げしないからです。
多くの女性は「かわいい良い子、優しい子が人から愛されて幸せになれる」といった生育歴上の刷り込みをされています。また学校教育的な価値観である「社会的達成に重きを置く気分」というのは男性だけでなく女性にも影響しています。
女性が求めているのはつまるところ男性と同じ「安心」ですが、その手段としてのパワーの種類が男性とは異なり「相手に自分を必要とさせる」という母性的なパワーなのです。最近ではさらに「女性もキャリア」といったことが宣伝されていることから、「良妻賢母の上にキャリアも…」ということなり、日常生活のやるべきことの多さに忙殺されている女性が多数おられます。なにせ本人自身の安心感がかかっているので手を抜きにくい。そのため常に動き回り、世話を焼きまくり、その結果夫も息子も何もしない、できない、責任をとれない、という状態になり、ますますその女性なしでは生きられなくなる、ますます手を抜けなくなる…という事態を招いたりするのです。
女性も男性と同様に「パワー」という「安心のための鎧」が維持できなくなったとき、嗜癖という形で象徴されるようなさまざまな問題が噴出してきます。
嗜癖という面でいうと、女性のアルコール依存症は男性の10分の1程度ですが、対照的に過食拒食の問題が男性の10倍生じています。そして拒食や過食といった問題を抱えるのは、周囲の問題を自分の問題として受け取って不安になり、そして「私が頑張れば何とかなる」と日々努力するような周囲の期待を集めそうな子がほとんどです。
男性にしても女性にしても「安心のためにパワーを求める」という生き方は手段と目的の倒錯が生じやすく、目的たる安心からますます遠ざかってしまうのです。次回はこのような泥沼の悪循環から抜け出すヒントについて考えてみたいと思います。それは私たちがパワー信仰の時代から脱出するヒントにもつながるでしょう。