第116回 「思考停止」症候群(1)~イラク戦争をめぐって(上)~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2003年4月6日
《「戦争」という名の暗殺》
米英のイラクに対する攻撃が始まりました。超大国による一方的な政権転覆(と傀儡政権の樹立)を狙った戦争。こんな理不尽なものはありません。冷戦時代の構図においては利他的にもみせることもできた米国の行動も、現在の状況では唯一の超大国の傲慢としかみえません。
このような行動はテロや暗殺と思考様式としては同一です。フセイン政権の一派をすべて暗殺し、米国の言いなりになる政権に入れ換えたいが、それではあまりにも露骨な国際法及び国内法違反なので、戦争という手段を選んだということでしょう(どうみても国際法違反ですが)。目的は石油利権であることは明白であり、デタラメも極まっています。大義名分としてもちだした「大量破壊兵器」や「独裁政権」の問題なども、戦争でなくても対処可能なものであり、米国国内はともかく国際社会は全く納得していません。戦闘が長期化すればおそらく国連の安保理ではなく総会の方で停戦決議がなされるはずですし、そうならねばおかしいでしょう。
《議論なき追従》
このような動きの中で際だっていたのが、日本の条件反射的な米国追従姿勢でした。この戦争について小泉首相が述べたことはつまるところ「アメリカ様の言うとおり。イラクが悪い。日米同盟が日本の生命線」ということです。
イラク派兵案が可決された韓国においても、米国の主張をそのままに国民を説得するようなことはしていません。ノムヒョン大統領は国会演説において「大義名分のない戦争である」という世論に理解を示しています。韓国国会は「理不尽な戦争である」ということを明確に意識した上で、「名分ではなく現実の力が国際政治を左右している」「米国が苦しいときに助け、韓米同盟をしっかりしたものにすることが、北朝鮮の核問題を平和的に解決する道だ」と訴える大統領に過半数の支持を与えたのです。
《戦争問題における「思考停止」》
しかしこの「戦争」がそもそも戦争といえるのでしょうか。長年の国連制裁の結果弱り切った中東の一国を石油利権のために超大国が攻撃することについての議論があまりにも無さ過ぎます。教科書の書き方一つで大騒ぎする日本のメディアが、今回の「戦争」の理不尽さと日本政府の条件反射的米国追従に対してはどうしてここまで冷静なのでしょう。これは戦争という問題を真剣に考えることにマスコミも含めて国民全体が「思考停止」に陥っているということです。
考えるべきはたくさんあります。単純に国益という視点でみたとしても、アメリカ追従による目先の国益が中長期的にみてどれだけ確かなことなのか。今回のような米国の理不尽さを目の当たりにするアラブ諸国や世界の米国に対する不信の広がりとその腰巾着日本に対する軽蔑の影響にも配慮せねばなりません。
それでは国益を超えた「人類」益をという視点ではどのようになるのでしょう。悲惨でない戦争など古今東西ありませんが、「戦争の悲惨さ」を訴えるだけでは、「国益」論の前に黙殺され、戦争は決してなくならないでしょう。現代における戦争とはどういうことなのか。戦争が「必要」となってしまうのはどうしてなのか。突き詰めれば私たちの生き方や価値観に深く関わってきます。そのようなことについて次回もう少し考えたいと思います。