第115回 心の病とはなにか(7)~自殺系サイトを介した集団自殺~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2003年3月23日
インターネット上の自殺をテーマとしたサイトで知り合った若者の集団自殺が相次いでいます。ネット規制を求める声もあがっています。あまりにも頻繁に起こるため不安を感じている人も多いことでしょう。これはどういう背景をもった現象なのでしょうか。
《「いつでも死ねる」という安心》
現在インターネット上には「いかに楽に生きるか」をテーマとした癒し系サイトが多数存在します。しかし同様に「いかに楽に死ねるか」という自殺系サイトの方も連日多数の若者でにぎわっています。両者に共通しているのは「生きづらさ」を抱えているということです。彼らを取り巻くシステムの不適切さや対人関係や生き方に対する個人の枠組みの窮屈さなどに追い詰められている莫大な数の人間の存在が、これらのサイト乱立の背景にあるのです。
自殺を扱ったネット上のサイトが問題となった事件として、1998年の年末に起きた「ドクター・キリコ事件」が有名です。これはドクター・キリコと名乗って自殺希望者に薬の解説などを行っていた男性が、青酸カリを希望者に郵送し、それを飲んだ女性が死亡したというものです。
この男性を死亡女性に紹介したのは、「安楽死狂会」というホームページを開設していた主婦で、その主婦も男性から青酸カリを譲り受け「お守り」として持っていました。男性はそのような確実に死ねる薬を持つことで逆に自殺の衝動から開放されるはずだと信じていたようです。おそらく自らの体験からでしょう。実際にその男性から毒物を譲り受けた人々は警察からの提出要請に対して、「持っていることで安心する」として数名が当初拒否の姿勢を示したとのことです。
これと似た現象としては1993年に出版された「完全自殺マニュアル」があります。100万部以上のベストセラーとなったこの本は、事実上の発禁処分にされる一方で「いつでも死ねるとわかったら安心した」という根強い支持の声がありました。
自殺について考えている人間に対して「馬鹿なことを考えるな」「生きていればいいことがある」「君が死んでしまうことでどれだけの人が悲しむと思っているんだ」などという常識的説教は逆に自殺促進的に働くことさえあります。そんなまぬけなことを言われたくない若者は自殺系サイトに集います。「苦しくて仕方ないのなら死ぬことだって出来るんだよ」という姿勢に救われる思いをするのです。そしてそのような場で死にたい自分を語れることで、危険な自殺衝動が和らぐこともあるのです。
《自殺情報の副作用と規制不能》
しかしその一方で、青酸カリのような毒物や自殺に関する具体的な情報を提供する本やサイトが「引き金を引く」こともありえます。したがって劇薬が自殺を考えている人々の手に容易に渡ってしまう状況は危険です。しかし薬物の規制以上に本の規制は難しく、ネット情報に至ってはより一層困難でしょう。
したがって自殺の具体的な方法などの情報が、さまざまな事情を抱える個人に対して区別なくもたらされてしまうことは今後避けられない状況です。それを見据えた上での対策を真剣かつ早急に考えねばなりません。
《自殺をテーマにした話し合いの機会を》
現代を生きる多くの人々が、失敗したら居場所がない、他者に相手にされないと思い込み、自らを追い込んでいます。そのために毎日の生活に疲労困憊し、うつ状態に陥り自殺のリスクに曝されます。
「生きづらさ」を抱え、自殺を考える人々が大勢いる。これをテーマに話し合ったり、さまざまな状態を想定してロールプレイをしてみたり、という機会は早急かつ広範に教育に盛り込むべきだと考えます。自殺について考えるということは、生きるということについて考えることです。壇上から「命の大切さ」などと訴えても、本当に自殺の危機にある若者には白々しく響くだけでしょう。教育現場において自殺をテーマにして話し合う機会を多数もち、コミュニケーションを活性化することは、生を柔軟に捉える力をもたらすでありましょう。