第114回 心の病とはなにか(6)~現代を生き抜くための自己信頼~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2003年3月9日
「自分」や「社会」というものの秩序を担っている「心」について、それが今不安定となっている原因を「社会」の側面から前回述べました。
国家や会社などの所属に依拠した旧世代的な自尊心の持ち方が時代の急激な変化の中で大きなダメージを受けていることは明らかです。中高年者の自殺急増の主要因はこれでしょう。そして旧世代の自尊心のゆらぎは若年世代にも深刻な影響を与えています。
《子どもたちの窒息》
目標に向けての勤勉さを道徳とし、自尊心の糧としてきた旧世代が、子どもをいい学校に入れたら教育の成功がごとき幻想を現在に至るまで維持しようとしています。教育システムや家庭や地域における枠組みを変えようとしない結果、子どもの方は何処に行っても学校的価値観でしか大人からみられないということになります。自信と余裕を失っている親たちが子どもに求める杓子定規な良い子イメージは、子どもには大きすぎるプレッシャーです。今の子どもがおしなべて失敗を極度におそれ、人の評価に過敏なのはそのためです。親や友人にすら、その評価をおそれて内面を曝せず、その場の自分の存在を得るために他者が期待するキャラクターを延々と演じている彼らのこのような「協調性」を生んだのが学校的価値観による教育です。
当然そんなことを全ての他者に対してやってはいられません。そして無関係な他人には恐るべき無神経さを示します。さらには第三者に対する犯罪や暴力行為にもつながる場合もあります。大人の良い子イメージに合わせ、通常の場面では抑圧されてきた内面の怒りが、出口を求めて噴出するのです。全人的な承認欲求の爆発であるともいえるでしょう。これこそが酒鬼薔薇少年の事件以降注目されている「こんな良い子がなぜ」的な事件の背景なのです。
《しなやかな自尊心へ向けて》
これからの時代を生きやすくする自尊心の持ち方とはどのようなものなのでしょうか。
かつて「とりあえずいい学校(会社)に入れば何とかなる」といったような教育が成立していたのは、全国民に共通した欠乏があり、共通した夢や希望があった時代背景のためです。そのような時代の安心の持ち方(いい会社に所属している等)では今の時代にはそぐわないことは明白なのです。
他人よりも勉強や仕事がきっちりできるといったことを自尊心の糧とし、「できて当然」と常に自分を追い立て、リラックスが全くできずに体調を悪くするという「現代病」はあまりにも蔓延しています。
自分への安心と信頼を蓄積していくことためには、自分の内面のさまざまな部分を他者とのコミュニケーションによって承認され、自己の安心と信頼を高めていく必要があります。このような作業は、一度良い方向に向くと良循環が得られます。つまり安心しているから自己開示できる、自己開示できるから安心できるというものです。
現代日本を代表する現象である「社会的引きこもり」においては、これとは逆の悪循環が生じています。きちんとしたものを他者に示さねばならないと思い込んでいるために内面を表現できず、それゆえに自己信頼を得る機会を失ってしまい、対人的な緊張度が高くなり、引きこもらざるを得なくなっているのです。
私たちにとって最も大切なのは自己への信頼と安心です。自分や人を疑う前に「システム」を疑った方がよいでしょう。自分の内面的なものに恥や罪を感じてしまうのは自己開示の不足であり、これを楽にするのは他者とのコミュニケーションによる承認です。自分でいくら考えても安心はできませんが、コミュニケーションの相手なら恥や失敗を割り切れば必ず見つかります。
多くの失敗や周囲との好みやペースの違いを許容できる自己信頼こそが現代に必要です。多くの失敗は人の「自由度」や「選択肢」を増やします。失敗しても平気という個人の枠組みとそれを後押しするような学校を始めとする社会システムの改革が必要ですし、学校の問題を考える時、このような視点が原点となるでしょう。