第113回 心の病とはなにか(5)~旧世代の自尊心の危機~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2003年2月23日
人の心とは、「自分」や「社会」という各々の<自然>を調整する役割を担っていることを前回述べました。人の心が安定していることは、個人や社会の健全性の維持に不可欠なことです。心の安定とはどのような形で得られるのでしょうか。何ゆえに今私たちは心の安定を欠きやすいのでしょうか。
《高度成長時代の「安心」》
重化学工業と戦争の時代の始まりとともに、かつての共同体的なものが次々と崩壊していきました。そのような時代の中で不安と混乱に陥った人々が「国家」や「会社」への所属に居場所を見いだしました。ファシズムの熱狂も「エコノミック・アニマル」といわれた日本人の勤勉もこの一種です。
元々共同体的なものの考え方をする日本人にとって勤勉や学歴は一種の「道徳」になっていました。大人も子どもも、勉強や仕事などの「やるべきこと」さえやっておけば明るい未来が開ける(豊かになれる)と思える時代でした。だからこそさまざまな「今ここ」の欲求を抑え、勉強や仕事をすることをとりあえず優先することができたのです。
高度成長時代の心の安定のさせ方は頑張って良い学校や良い会社に入るというものでした。ですからこの時代における多くの人々にとってアイデンティティ(自分という存在を形づける根拠)とは「会社」や「肩書」であったのです。
《揺れる旧世代とさまよう若年層》
しかしそのような会社などへの「所属」に自己の存在の根拠を求めるような安心のスタイル(自尊心の持ち方)は年々難しくなってきています。
どんな優良企業でも5年後の存在は保証できない時代です。また国家や会社などは、成員の流動が激しくなっており、所属意識は希薄になるばかりです。
また万人がモノの欠乏を自覚し、豊かさへの希求が自明であった時代ではもはやありません。現在は何が売れるか全く読めない時代です。犯罪の動機も不透明なのと同様に、人が何を欲求しモノを購入しているかという動機もまた不透明なのです。これは人々の幸福の在り方が非常に多様化していることを示しているのです。
立派な学歴の先に明るい未来と豊かさが確信されるという時代は既に去りました。それにもかかわらず所属している会社の肩書や勤勉さなどを自分の拠り所にしようとすると相当の無理が生じます。そのような共同体的な自尊心の持ち方は、「公共」や「正しさ」を隠れ蓑に、自分の利益を満たそうとする人々に利用され、振り回されます。このような形で常に追い立てられるように生活しているのが旧世代の特徴です。一見順調で安定しているように見えても、若年層とのコミュニケーションに大きな困難を抱えています。
旧世代の価値観は現在の子どもには通用しません。彼らにとっては会社への所属などといった「不安定なもの」を自分に対する信頼や安心の基礎にはできないからです。当然、そのような脆弱な自己の基盤をもった大人たちを頼りにすることもなかなかできません。
かくして激動の時代を迎え、脆弱な自尊心の基盤のために揺れる旧世代と、親世代を生き方のモデルにできずにふらふらとさまよう若年層という状況に現在あるのです。そのような状況の中で中高年の自殺の激増、不登校や学級崩壊、社会的ひきこもりなどが生じています。
次回、現代を生き抜ける自尊心の持ち方についてもう少し考えたいと思います。