第102回 幸福の行方(2)~ガンバリズムと幸福(上)~

 日本人の大半が入信している宗教に「根性主義」「ガンバリズム」があります。「家族のために」「会社のために」「人に迷惑をかけないために」…などとガンバッテいるのですが、そもそもどうしてそんなに頑張るのでしょうか。
 おそらく「頑張るのをやめる」ということが、多くの日本人にとってあたかも共同体からの逸脱に等しい意味をもつのではないでしょうか。「みんな一緒にガンバロウ」という合言葉で共同体が成り立っているようにすら思えます。以前話した留学生は、日本人の使う「頑張ってね」という言葉の挨拶がわり的な乱用に戸惑っていました。慣れない土地の生活と勉強にかなりエネルギーを使っているその留学生にとって「これ以上どう頑張るのか」と感じるのは当然です。頑張っているその留学生に対しては自然な言葉は「大変だね」「無理しないようにね」といったあたりでしょう。

 

《ガンバリズムという道徳》

 あきらかに日本人は「頑張り」というのを無条件に「善」としてしまう傾向にあります。このような頑張り至上主義(ガンバリズム)は、戦中は「戦勝」という目標に向けられ、戦後は「経済的達成」に向けられましたが、いずれにしても共同体の統制をとるための一種の「道徳」として機能しました。
 戦後の日本が猛烈な勢いで経済的発展に向かった背景には、企業という単なる利潤を目的に活動する「機能集団」が「共同体」としての役割も担ったことがあるでしょう。企業が共同体として機能することで、戦後の激烈な急性アノミー(無秩序、無連帯)を救ったのです。そして経済的達成に向けた「ガンバリズム」が、男たちを24時間働くことを厭わない企業戦士にしました。そのような行動が共同体的な道徳に照らして「善」となったのです。そして女性に対しては「企業戦士の夫を支え、次世代の企業戦士の養育を頑張る」ということが「良い妻」「良い母」ということになりました。また子どもに対しても次世代の有能な企業戦士となるべく勉学に努めるのが「善い子」であるということになったのです。

 

《経済的達成の後で》

 このような「善きこと」に向けたワークに励むことを共同体的に激励する言葉が「頑張れ」であったわけです。ですからもうがんじがらめです。「家族のために」「会社のために」「会社で他の人の迷惑にならないように」と休まずに頑張る父親。「子どものために」とさまざまな不快に耐える母親。「お父さんもお母さんも頑張っているのだから私もやらなきゃいけないのに…」と罪悪感で焦る子どもたち…。十分すぎるほどの経済的達成がなされた後にも「善くあること」に必死になっている姿が日本中にみられます。
 戦後のガンバリズムで賞賛される「善」は、単に価値観の一つであるにもかかわらず、経済的達成という目的が達せられた今に至ってさえも人々を呪縛しています。そしてガンバリズム・ロボットになりきれないことに苦しむ人々が多数存在します。そして自己コントロールに向けた過剰な焦りを抱え悩んでいるのです。