第94回 人間関係を考える(4)~「良心」の行方~
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2002年7月21日
人と人との関係の在り方はどのようなことで規定されているのでしょうか。最も現代の共生の論理に適(そぐ)わない在り方は無視や一方的な決めつけなどを含む暴力的な言動でありましょう。
近年マスコミを騒がせている少年やカルト宗教などの動機不明の事件の数々もまた、人と人との関係の持ち方の問題が根底にあります。そのような問題を分析する際の一つの視点は「良心」というものでしょう。
《「良心」とは何か》
「良心」とは精神分析学的にいえば超自我(スーパー・エゴ)です。それは幼い頃からの周囲のやりとりを通じて無意識領域に蓄えられ、私たちの自我を方向づけるものです。これは生きる上で必要な他者との連帯を維持するための秩序と規範を「カラダで覚えている」というものです。このような「良心」が人と人とを調和させ、秩序を維持するのです。
《二重規範と定まらない「良心」》
現在の多くの場で行われているコミュニケーションは、人と人とが連帯するために価値観を一本化するような手法です。これは旧世代も若年世代も同様です。ただし旧世代は基本的には「みんな仲間だ」をかなり信じているところがあるために広範囲な場でこのようなコミュニケーションをするのに対して、若年世代は価値観の異なる自分とは関係のない他者と仲間を明確に区別しています。
価値観の多様化した現在、このようなコミュニケーションは基本的に無理があります。価値観の一本化が非現実的である以上、共有するものの多い「仲間」以外とのコミュニケーションは困難になるのです。そしてその「仲間」の内でさえ、そこからの脱落を恐れて決して本心を語らずに延々とたわむれつづけるというコミュニケーションであったりするのです。
そのような「仲間」という連帯を維持する規範は必ずしも社会的なものではありません。仲間以外の他者に対して暴力ともいえる影響を与えたりするのです。例えば薬害エイズなどの問題をみれば「厚生省」という連帯の内部規範すなわち厚生省内部でのみに通用する「良心」に従った結果が、あのような他者を死に追いやるような行為になってしまったわけです。このような二重規範の問題は当然お役所だけの問題ではありません。オウム事件などをみても、「人を救いたい」「世の中を善くしたい」と真剣に考えているような「良心的な」医師がサリンをまいてしまうといったことが起きています。
《二重規範からの解放》
このように現在の多様な価値観の中で、「良心的」であろうとすればするほど悩みは深まります。このような悩みから解放され、人と人との共生の喜びを享受することが可能となるためには、異なる価値観の他者と共生する論理の構築と共有、そして訓練が幼少時から不可欠となるでしょう。これこそが今後の世代の人間関係の憂いを除くことでしょう。教育の大前提は「価値観の異なる他者との共生」であるべきです。そして今成人している私たちもまた、共生の論理に反する言動を戒め合い、そして人間関係の喜びを享受しつつ生活する意識をもっていく必要があるでしょう。