第77回 「パワー」から「コミュニケーション」へ(8)~男たちの憂うつ(上)~

《自殺者の7割が男性》

 年間自殺者が3万人を超える年が続いています。男性が7割以上を占めます。それにしてもなぜこんなに男女で差があるのでしょうか。
 以前社会学者デュルケムの自殺の研究からでてきた「アノミー(無規範)」という概念をお話ししました。個人の破産や昇進、社会的な変革や戦争などが、人と人とを結びつけている前提を揺るがすとき、人は規範も連帯も失って生きづらくなります。結果として自殺が増えるのです。
 そのことからもわかるように人が生きる上で不可欠であるのは「人とのつながり」です。これなしでは人は自分が世界に一人放り出されたような感覚に陥り、自分をどう世界の中に位置づけてよいかわからず、ただ不安の中にいることになります。男性が女性に比べてこのような状態に陥りやすく、そして回復しづらいことが自殺者の性差となって生じていると考えられます。

 

《話さない、話せない》

 これまでの筆者の経験では、心療内科やカウンセリングルームにこられる方の7割は女性という印象です(施設によって違いはあるでしょうが)。これは相談という他者とのコミュニケーションによりバランスを回復できるということを女性の方が信じることができるためでしょう。言い換えれば、そのような発想が可能となる体験を女性の方がより多く有しているのです。
 現在のようなパワー信仰社会の中で生きていれば、自分の今の不安やアンバランスを克服するのはより大きなパワーのみであると男女を問わず考えがちです。「人に話したってどうなるものでもない」「相談など無意味」ということにもなってしまいます。
 しかしこれでは「パワーがなくなって」しまった時にはどうにもならなくなります。自殺者の年齢構成をみても40代より50代が多く、50代より60代以上に自殺者が多い傾向にあります。その動機には健康問題や経済的困難などさまざまなものがあるでしょうが、カネならぬパワーの切れ目が縁の切れ目となって「人とのつながり」が断たれ、自殺につながってしまっているのかもしれません。

 

《メシ、フロ、ネル》

 男性社会においては命令的言語で用件のみを伝えるという貧しいコミュニケーションが日常化しています。会社だけでなく家庭においてもその調子で「メシ、フロ、ネル」くらいしか言わない男性も多いかもしれません。女性の長電話や井戸端会議を男性は馬鹿にしますが、用件などなくても何時間も会話が成り立つというのはなかなか侮れない“能力”なのです。これは最近流行の男女の“脳”の違いだけでなく、その生育環境の性差も大きく影響していると考えられます。実際のコミュニケーション能力という点でいうと、中学生の段階ですでに大きな男女差があるように思います。
 男性のコミュニケーション能力の乏しさ、そして「男らしさ」へのこだわりがひきおこすさまざまな問題について次回もう少し考えてみたいと思います。