第39回 嗜癖の時代(8) 拒食症・過食症(中)
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2001年6月2日
前回、摂食障害が「食欲の亢進」をベースとした嗜癖であること、嗜癖である以上不安や空虚感からくる依存欲求を抱えており、それはつまるところ自己肯定感の問題であることを述べました。
そして現代の摂食障害者たちの親世代の迷いについても触れました。彼女らの自己肯定感の脆弱性を理解するためには、彼女らの親世代の自己愛のゆらぎと不安を理解しておく必要があるからです。
自己肯定感は人を取り巻く周囲とのコミュニケーションによって育まれます。現代は地域共同体における子育てシステムが崩壊し、核家族を中心とした育児が普通に行われています。それゆえに子どもの自己肯定感の初期値は親世代の自己肯定感に大きく依存するのです。
親は自己愛を子どもに投影して子どもを扱います。「自分はこれでいいのだろうか」という親自身の不安は、子どもの言動が常に心配でならないという態度(過保護)や、常に子どもをコントロールしようとする強硬な態度すなわち虐待につながります。
過保護のような間断のない注目に曝されることに慣れてしまうと、普通の人間関係が何か自分に対して冷たい態度を周囲にとられているような感覚になり、不安と依存欲求を高めます。虐待の場合も当然いつも否定され捨てられる不安にさらされているわけですから同様です。
このように親が自分自身に安心できていないとき、自分を大切にできる状況にないときというのは子どもにとっても同様に「生きづらい」状況となるのです。
《“母原病・父原病”の馬鹿馬鹿しさ》
摂食障害に限らないことですが、何か子どもに「問題」が起きるとすぐに両親(特に母親)の育て方についてやたらと説教をしたがる人が多いこと、それがまた何の解決にもつながらないことは周知の通りです。
専門家の中にも母子関係や両親の育て方などについて方針のないまま説教するだけの場合もあり、時代の流れの中で律儀に頑張ってきた両親をさらに追い詰めます。
このような思慮を欠いた助言や説教は、親の自己肯定感をさらに挫き、結局子どもに対する親の態度を余裕のないものにしてしまうという意味で有害無益といえるでしょう。
《みんなラクになろう》
筆者が親世代について述べるのは、母原病だの父原病だのと親に原因をもってきて一件落着にするためではありません。親の方もラクになってもらいたいからです。
摂食障害を抱えた家族では、親自身が「良い妻」「良い母」「良い嫁」といった自分を維持しようと汲々とした生活を送っていることも多く見られます。このような苦しみは、彼らの娘と同様のものです。
摂食障害者とはそのままの自分では世の中に受け入れられないと思い込み、周囲が喜んで受け入れてくれるような商品に自分を仕立て上げようと必死になっている少女たちだからです。
摂食障害の娘をもつご両親のほとんどは、「もっと痩せなければ」などといって自己コントロールに明け暮れる娘たちに対し、そこから解放してあげたいと切に望むことでしょう。その解決への近道は、親自身もまた自己コントロール地獄から解放されることなのです。子どもの自己肯定感にとって親の承認が大きな力を発揮します。それと同様に、親自身にもまた自分をそのままに大切にしてくれる友人やパートナーの存在が不可欠となるでしょう。