第38回 嗜癖の時代(7) 拒食症・過食症(上)

《時代の要求と嗜癖》

 長年人類が抱えてきた飢餓問題。それを克服し、勝ち誇ったように飽食を続けるいわゆる先進諸国において1970~80年代から特に目立ってきた「極度のやせ」を呈する疾患が拒食症です。韓国などでも90年代から目立ってきたようです。
 患者の10人中9人までが女性で、自分の食欲を否認し続け、最悪の場合は死に至ります。「大量の食物に囲まれての餓死」という皮肉な現象は、まさに「現代の生きづらさ」を象徴するような病といえるでしょう。拒食症と過食症を併せて「摂食障害」と呼びます。
 この両者は一枚のコインの裏表のようなもので、拒食から過食へ、またその逆へといった形で移行することが多くみられます。いずれにしてもそのベースは「食欲の亢進」です。その亢進した食欲を否認すれば拒食症に、圧倒されれば過食症になります。いずれにしても嗜癖の一種と考えてよいでしょう。
 嗜癖とは、不安や空虚感からくる依存欲求をベースとしており、つまるところ対人関係や自己肯定感の問題です。以前、男は権力、金力、筋力などといったパワーを用いて自分の存在不安や依存欲求の埋め合わせをしょうとすること、女性は人の世話を焼くという母性的なパワーを使って同様なことを行う傾向があることをお話しました。それは男性、そして女性に対する周囲や社会の「評価基準」に沿ったものです。当然ですが、実際のそれはもっと複雑です。時代や文化などの違いによってそれらは異なり,従って嗜癖の形態も変わっていきます。

 

《摂食障害者の親世代の迷い》

 摂食障害の女性たちが特にこだわっている人間関係が母親との関係です。彼女らの親世代はほとんどが戦後の生まれです。男女平等の下に教育を受け、制度的にはまずどんな生き方でも選択できるようになりました。
 これからの女性はどんどん外に出て男性同様に社会で活躍するのだといった考え方を学校教育の中で受けました。そして一方でその女性が有能な人材となり、社会で活躍し出す頃になると、伝統的な良妻賢母を当たり前のように上の世代によって押しつけられました。
 多くの人はそれを大きな矛盾も感じないままに受け入れ、仕事をやめたり、減らしたりしながら「良妻賢母」役割を果たしてきたのです。優秀でやる気のある彼女らは「良い妻」「良い嫁」「良い母」といった伝統的な役割と、社会的成功や達成という両立し難いメッセージに悩み、いずれかを断念し、自己不全感と自己不信を大きくしました。
 一部の人は一種の「躁状態」のような形で、すべてをこなそうと信じ難いほど働きづめの生活を送りました。彼女らの自己不全感、自分自身に対する強い不安(これは一見不安が目立たない“躁状態”の人にも共通するものです)は、当然他者からの承認という形で解消されねばなりません。しかしやはり「有能な企業戦士」の夫は真夜中に帰ってくるような生活を続け、妻の不安や空虚感を理解しようとはしません。男性は「会社の仕事をひたすら頑張れば承認を得られる」という女性より取り組みやすい枠組みで安定していたので、妻の空虚感や葛藤を理解しにくかったのです。
 その結果、自己不全感と夫への怒りを抱えたまま「やるべきこと」をこなし続けるという緊張感に満ちた生活を送ることになります。そして空虚感を抱えた不孝な母親は、いくらでも愚痴をきいてくれる従順な娘と密着しました。
 娘らの中で特に期待をかけられやすい優秀な子は母親が断念した「社会的な成功」の達成に躍起になりました。また異性に対して虚勢をはったり、過度に脅えたりという態度も身につけていました。彼女らはまさに自分の母親の分身でした。それはいつも気の抜けないものです。生きる不安に押しつぶされそうになってもおかしくないでしょう。
 そのような母親の密着から離れようとする彼女らの「健康性」が顔をのぞかせたとき、さまざまな「症状」が顔を出してくるのです。