第30回 現代の生きづらさと心身疾患
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2001年3月31日
《生きづらさを反映する現象》
これまでに少年事件や家庭内病力、親殺し、児童虐待、ドメスティックバイオレンス(DV)などの問題についてお話してきました。その背景にはわれわれの社会全体が抱える切羽詰まり感が共通しています。家庭内暴力は条件付の存在承認を親や社会から受けているように誤解してしまった子どもが主役となります。「いい子」からの脱落によって生じた罪悪感とあせりに翻弄された依存性暴力が家庭内暴力の本質です。児童虐待もまた、親自身が自分の存在を大らかに受容し、自分自身を大切にしにくい状況の中で、そのような自己像を子どもに投影してしまうために生じる問題です。自分をそのままで受け入れられない脆弱な自己肯定感をもつ成人男性が、その存在不安から妻に対して「赤ん坊返り」を繰り返してしまうのがDVです。これらすべての背景にある「承認不足」という問題は、決して特殊な個人の問題ではありません。現代を生きるわれわれ全てに共通する生きづらさや不安そのものなのです。
当然のことながら、家庭内暴力や児童虐待やDVだけにそれが反映されるわけではありません。アルコールや薬物などの物質への依存や、ギャンブルや借金や買い物などへの過度の熱中、不登校や引きこもりなどとして表れることもれば、身体的なアンバランスも巻き込んだ「病気」として出現することも非常に多くあります。
《治療と修理の違い》
不安な時代を背景として変調をきたした身体や精神を回復させていくという過程は、壊れた機械を修理するような他人事の作業ではありません。バランスを崩してしまうような無理を再びできるようにすることが治療の目的ではありません。現在の自分に合っている気持ちの良い環境を整えていくことが治療の主体です。症状の軽減やバランスの回復は後からついてくるのです。
《“病気”からコミュニケーションの回復へ》
回復を妨げる最大の原因は、病気になった自分や子どもをあたかも「値落ち商品」のように思ってしまうことです。叱咤激励したり責めたりしてみても事態は決して改善しません。怠慢や根性の問題ではないのです。これは私たちの「根本的な安心感」に関わる問題です。言葉をかえれば、バランスを崩してしまった自分や自分の子どもを、他者の目を気にして「ダメになった」と焦ってしまうような安心感のなさや自尊心の脆弱性こそが、私たちに無理を強いて“病気”にさせた原因かもしれません。無理を続ければ弱いところに症状が出てきます。頭痛や腹痛、嘔吐やめまい、気分の落ち込みやいらいらなどが顕著になったりします。高血圧や糖尿病、喘息、リウマチなどが悪くなるかもしれません。しかし「早くまともな状態にもどらなければ」という焦りは、心身の余裕を奪い、事態をより悪化させるだけになりかねません。このような場合に必要なことは、自分の存在そのものについての安心感の回復です。今の時代、われわれは大なり小なり自己肯定感に脆弱性を抱えています。そのため一度病気になると、不安のために必要な休みをとれず、より頑張ろうとして結局回復から遠ざかってしまうという“堂々廻り”に陥ってしまいやすいのです。このような場合に必要不可欠なのが、安心感の回復、つまるところ周囲の人々とのコミュニケーションの回復なのです。