第18回 児童虐待(2)

 子どもをアビューズ(乱用、虐待)することはすべての親や大人に共通していることであり、そこに例外はなく、あるのは程度の差だけであることを前回述べました。子どもをアビューズしてしまう親とは、心身の余裕がなくなっている大人です。私たちはだれでもさまざまな原因で余裕をなくします。さまざまな個々の事情から社会的なシステムの不備としかいいようのないことまで、この余裕のなくし方にはいろいろなものがあります。個々の事例に入る前に今回は虐待につながる社会的背景についてお話ししましょう。

 

≪地域共同体の崩壊≫

 「昔はこんなことはなかったと思うのだけれど、世の中のどこが狂ってきたのでしょうか」という質問をよく受けます。昔の人間のデキが格段に良かったというわけではないと思いますし、虐待も多々あったと思いますが、確かに5人、10人と子どもをもつことが可能な子育てシステムが存在していました。戦前にあって現在にないもの、それは「地域の共同体」です。それが機能していた時代、子どもはその中ではぐくまれました。しつけにしてもその時代は親がしていたというよりは地域の年長者が行っていたのです。共同体全体として子どもを抱えていたので、親が育児で極端に切羽詰まることが少なかったのでしょう。つまり相当危うい親がいたとしても、そのすべてが子どもにダイレクトに伝わらず、共同体として子どもを救っていたのです。しかし、その地域共同体は敗戦により崩壊し始め、現在ではほとんど機能していません。子どもは核家族の中で養育されるようになりました。

 

≪核家族による子育て≫

 核家族による子育ては、子どもに対してケアの安定供給に問題が生じやすいという欠点があります。家族成員のだれかの体調不良やストレス過多が、そのまま子どもに影響しやすいのです。両親が余裕のある親兄弟や友人知人を近くにもっている場合はなんとかなりますが、そうでない場合はすぐさま切羽詰まることになります。社会システムとしても現在のような状態は好ましいことではありません。保育所の充実を始め、さまざまな形での子育て支援を社会的に行うことが急務といえます。
 また直接的な子育て支援ではありませんが、転勤の多さという問題も早急な対策が必要です。転勤はあまりにも安易かつ頻繁に行われており、そのたびに人は地域における友人知人のネットワークが寸断され、核家族の孤立度が高くなってしまうのです。夫の方は職場というつながりでそれほど違和感がない場合でも、転勤に付き添う妻や子どもの方は地域の友人知人のネットワークを断ち切られてしまい、ストレスが激増します。また単身赴任といったことも生じやすくなり、やはり育児の中心を担っている女性の負担が増えてしまうのです。いずれにしても日本の会社の転勤の多さは、子育てにおける大きな障害といえます。このあたりの共通認識をわれわれは形成していく必要があるでしょう。

 

≪危険な「かくあらねば」≫

 現在、乳幼児の子育ての中心をなす30代は、生まれた時から高度成長時代のカルト的な雰囲気に浸っていた世代です。したがって一方的な情報をそのまま受け取って、「とにかく頑張ろう」と思いやすい性質があります。その調子で子育てをやろうとすると、「これでいいんだろうか」「もっとこうでなければいけないのではないか」などという心配の泥沼にはまってしまいます。転勤や結婚に伴う移動などで周囲とのネットワークから外れてしまった場合などは、容易にこの種の悪循環に陥ってしまいます。密室で子どもと24時間向き合いながら、この悪循環にはまっていることは非常に危険です。「よい子育てをせねばならない」というプレッシャーは、このような状況では必然的に「厳しいしつけ」となり、それはまさに「虐待そのもの」となってしまうのです。子育ての仲間や先輩がそばにいないことはとても危険です。

 

≪今すぐに≫

 以上述べてきたような子育てに際しての社会システム上の問題点には、すぐにでも解決可能なことがたくさんあります。それは効果的な少子化対策でもあります。「女性の高学歴化が少子化の原因」と言っていた大臣が以前いましたが(今回も入閣していますね)、このような人に任せてはおけません。今すぐに“私たち”が議論し、動かねばならないのです。