第15回 赤碕母親絞殺事件(2)
“止まり木”求め さまよう心(山陰中央新報) | 2000年12月2日
典型的な少年による親殺しが、子どもの自己選択や判断を許さず、子どもの行動全狽ノわたる厳格な管理を行う家族の中で生じることを前回述べました。そのような家族の中で、彼らは窒息してしまうような強い圧迫感と恐怖を感じています。そして自分の存在自体が丸ごと親に受け入れられ、認められているという感覚の乏しさは、通常の家庭内暴力児より徹底している印象です。彼らの犯行には比較的計画性があり、一気に致命的な暴力を振い、その後は奇妙なくらい冷静であることが大きな特徴です。
《今回の事件の特徴》
その点、今回の赤碕の事件では計画性はうかがえず、また刃物などで一気に致命的な攻撃を加えるのではなく、殴るけるといったことで始まっています。おそらく暴力噴出のきっかけは通常の家庭内暴力とほぼ同様とみてよいのではないでしょうか。すなわち本人は、母親の希望に沿った方向でやろうと頑張っているのだけれど、どうしてもうまくいかない。母親にもその努力を理解し認めてもらえない。その無念さとどうしようもない行き詰まり感が幼児返り的な暴力を生んだと考えられます。しかし、それがそのまま依存性暴力の垂れ流し(いわゆる「普通の」家庭内暴力)とはならず、母親絞殺という行為に至ったのはなぜなのでしょうか。容易に想像できることとして「侵入してくる母親に対する恐怖」が挙げられます。
相手に対する圧迫感と恐怖が強いとき、人は大声を上げたり刃物を振りかざしたりして威嚇します。それにもちっとも動ぜずに相手がぐんぐん迫ってくると「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」という事態が生じます。以前に女性教諭が男子生徒に刺殺された事件などはこれに当てはまります。「注意されてそれにキレて刺した」というふうにとらえて“少年の心の闇”というブラックボックスをつくってしまうよりも、脅えている子どもが「近寄るな」という意味で振りかざしたナイフに教師がまったくひるまず少年に近づいたために刺されてしまったと考えるほうが実際的です。
同じような事件を防ぐためには、どうしてその生徒が教師に対してそのような圧迫感やおびえを抱いていたのかについて検討すればよいのです。おそらく今回の事件においても、加害者の少年は母親に脅えきっていたのではないでしょうか。それゆえに母親の首を絞めた、そしてその脅えと恐怖のためにその手を緩めることができなかった、と考えられるのです。
《事件の要因の「非特異性」》
このような事件が生じるのは偶然ではありません。事件の当事者家族が非常に特異的で、われわれとは異質な要因をたくさん抱えているわけではないのです。この事件と私たちの日常は、異質どころか紙一重と言えます。すなわち、通常の家庭内暴力が起こる背景としての極端な依存性を生む「自己選択と失敗を許さない養育態度」。そして私たち親や教師らが“しつけ”と称して子どもたちに与えている問答無用の圧迫感と恐怖感。そのようなことは大半の家庭で存在するでしょう。それは程度の差でしかありません。
次回は、以上述べてきたような視点から事件の経過を追ってみたいと思います。